昨年通りvsその場のノリ

自分ではそんなに発想が豊かな方だとはどうしても思えないのだが
とにかく考える役目にまわることが多く
一発打ち上げお祭り女を余儀なくしてきた

運動会どっかーん
文化祭ドッカーン
これは私には譲れない線だった。

15年程も前,ひたすら真面目にいろいろなことを考えていたとき
学年で一つの版画を作るだけとか,
造形物を作るだけという文化祭が不満で,もっとみんなに何かさせたいと,テーマを決めてクラス毎に学習することを提案した。
学級担任からは,なにを七面倒くさいことをと言われたが,
それでもいろんな研究物ができた。
その時はだれもそんなことは言わなかったけど
今から考えれば,あれは総合的な学習の時間だった。
つまり,そんなよくわからないことが好きだったんだ,昔から。

ところが,自分自身はあまりレベルが高くない。
私が提案して,私も含めた教員たちが取り組むのだが,
どうも,ヘンなことをしてはコケるのが私だった。
他の教員たちは,面倒くさがったり,露骨に嫌な顔をしながら始めるのだが,私なんかより,ずっといいものを作ってくれる。
その辺が教員の底力なんだろうなって思う
真面目過ぎるかもしれないけど。

今年も文化祭の準備を始める時期になって
ほんとはやること決まってるはずなんだけど
どうも面白くない。
1年生はこれ,2年生はこれ,3年生はこれって一応線はあるんだけど,面白くない。
その場のノリで提案しちゃうと,また後でもめるかな
去年もめたし。。。
1年限りってことで勘弁してもらった。
今年も1年限りってことで。
ダメかな

最近は授業時間の確保と,行事の精選で,文化祭そのものがなくなってしまう学校がいくつもある。
なくならなくても,紙に書いた研究発表やパワーポイントの個人発表に終わってしまうところも多い。
お祭り女としては,なにか,こう,血のたぎるものが欲しいわけで,
年とともに自分の血はたぎらなくなってきたけど,生徒の血は沸かせてやりたい。
去年の通りにって,そんなもん,毎年変えたっていいやん
そのとき考えるから楽しくもなるってもんや

というわけで,土日はすこし考えよう。

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もう一押しって,嬉しいんですけど。。。。

不適格教員と簡単に言うけれど

最近ブームの不適格教員である。辞めさせろと世間の鼻息は荒いが,いったいどんな教師が不適格なんだろう。

授業がうまく成立しない教師だろうか?
年休とりまくり(とはいっても上限はあるから,ものには限度があるけど)の教師だろうか?
校務分掌がうまくできない教師だろうか?

家庭において,「この人,不適格なんじゃない?」と親たちが言う多くは,「子どもになにか不都合なことをしてくれた」教師ということが多いような気がする。その多くは,理不尽(と思われる)叱り方をされたということかな,というのも,学校にはその手の苦情が一番多いからだ。

子どもの話を聞いていくと,だいたいこうなる。
何かに対して,納得のいかない指導をされ,自分は悪くないのに,酷い目にあった。
その先生は,授業も下手くそで,真面目に仕事をせず,子どもの評判も悪く・・・・
と続いて

「そんな先生,不適格教員だわ」

という事になってしまっているようなことはないだろうか。

もちろん,そんな主観的なことでは不適格と正式に認定されるはずもなく,親たちはますます不満を募らせる。
残念だが,全面否定するつもりはない。
私たち同僚の教員に,実態が見えにくいひとつの原因として,
同僚教師の前で見せる顔と,生徒に見せる顔にひどくギャップのある人がいる。
同僚の前では礼儀正しく,控えめなクセに,生徒と自分だけになると,やたら高圧的な教師がいる。どちらかというと,気の弱い人に多い。

生徒がやんちゃに荒れている学校では,よほどの技術か威圧感を持った教師しか授業の成立が望めなくなってしまうので,そのレベルの学校で不適格を云々するのは無理がある。子どもにも,ひたすら,訳のわからんいちゃもんをつけるヤツもいるので,そんな学校で,不適格について話をしても,無意味だ。

で,普通のレベルの学校における,生徒のレッテル版不適格教師だが,未然に防止できるのがいちばんであるが,最近の親の会話を聞いていると,ものすごく簡単に誰にでもレッテルをはって,「うちの学校にはろくな教師がいない」と話している。

ちょっと待て。

それって多くの場合,ちょっと短絡的過ぎないか?
子どもが何を言うか知らないが,
多くの場合,子どもは嫌いな先生をこき下ろす。
親も鵜呑みにして騒いでしまっては,学校の教員なんて,そのうちいなくなってしまう。子どもが教師の理不尽さを訴えてきたときには,やんわりと聞いてみよう

「そんな酷い先生なの?わかった。お母さんが一度,学校へ様子を見に行ってあげる。様子を見て,あんまり酷いようなら,校長先生と委員会に訴えてあげるから。」
多分,2度とその先生のことは話題にならない。子どもがウソをついているのではない。都合の悪いことは言っていないだけである。

家でも手をかけられ,小学校でもいい子いい子され,ほどほどでよしとされてきた生徒たちは,中学校で大人数が集まって,自分が大勢の中の一人になってしまうことに大いにとまどうらしい。彼らの頭の中には,まだ「私とあなた」の1対1の関係しかなく,集団というものを意識できていないのだ。それが右に同じ,と扱われて,伝達を聞いていないとこてんぱんに叱りとばされると,どうしていいかわからなくなるらしい。謝り方も知らないので,黙って立ちつくして,それをまた叱られるという無限ループに落ちていくのである。
怖くて,とりあえず「はい」と返事をすれば,それが「はい」と答えてはいけない場合だったり,ごまかしがバレて,もっと深みにはまったりすると,彼らの思考は停止するばかりでなく,理解もとまってしまう。帰る頃には,なんでこんなに叱られるのかさえわからなくなってしまって,家に帰ると,不満が爆発することも少なくないらしい。

子どもの言うことを丸ごと飲み込んで,一緒になって批判をするのはやめてほしい。今の子どもたちの多くは,信じられないくらい幼稚である。中1では,感情の分化さえ,うまく進んでいない子どもが多すぎる。可愛がられて育った裏返しであるが,これを3年間でそこそこの人間に仕上げなければ,社会には出せない。

私たちには,親と一緒に,子どもを社会に出せる人に育てる義務がある。子どもの将来のために,子どもを王様にするのはいい加減やめよう。

期限を守り,自分の非を認め,素直に謝れる。

そんな当たり前のことを,当たり前にできる人間を育てよう。

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毎日説教。それでも説教。明けても暮れても説教のわけ

それにしても,最近,説教が多いです(笑)
私も面倒くさがりな方なので,あまり長い説教は得意じゃないのですが
それでも,けっこうこんこんとやらなければなりません。

なんでこんなに説教が多いかというと,
私が年取ったせいかな?とも思うのですが
とにかく整わない。

一番多いのがごまかしです。
宿題や提出物を集めていて,
「もう出していない人いませんか?」

し〜〜〜ん(誰も反応しない)

でも,どうも手応えとして,枚数が足りません。

「ほんとに誰もいないの?みんな出してる?」

し〜〜〜〜ん

で,職員室で,名前を確認すると,やっぱり足りない。
それでも,一応チャンスをあげます。
休み時間にもう一回

「なんか足りないんだけど,ほんとに出してない人いないの?」

それでも反応なし。
ついに終礼で名前発表となります。

残して,職員室へ呼んで,確認作業。

「出してないでしょ」
「出したと思っていました」(こんなウソにだまされてはいけない)
「で,どこにあるの?」
「机の中にあると思います」
「じゃ,今すぐ取ってらっしゃい」
「え?」
「机の中にあるんでしょ?とってらっしゃい」
「あの,いえ,あ,う。。。」
「はぁ?どうなってるの?」
「なくしました」(これもウソ)
「はぁ?なくした?いい加減なことばっかり言ってないで,ほんとはどこにあるの?」
「部屋・・・・」
(この答えを言わすまでに少し時間を稼いで,十分気持ちを追いつめておく)
「なにぃ,何で最初からちゃんと忘れましたが言えない!!」
とここだけは職員室中に響くぐらいに大声効果でちょっと脅す。
と,半分程の生徒はウルウル。
このウルウルが大事なんです。これをやらないと,効き目がない。

涙が入ると,たいていの生徒は一気にできなかったいきさつや,
今,その提出物がどうなっているかをしゃべり出します。
これをきちんと言わさないと,後がやっかいなんです。
(ここで手を抜くと,あとで,親からクレームが来ることがある。「うちの子が間違えただけなのに,先生は話しも聞かないでうちの子を怒鳴りつけた。心に傷が残ったら,どうしてくれる。」)

きっちりしゃべらせて,いつなら提出できるかを確かめて,
ウソをついてはいけないこと,
ミスは誰にでもあるのだから,自分から先に名乗り出て,さっさと怒られれば,涙を流す事態には至らないこと。
自分から先手必勝で謝ってしまうのが,一番事を小さく済ませることができること。
自分から謝っている生徒に,無茶苦茶怒る人なんか,学校内にはいないこと。
大人になっても,謝れるかどうかは,点数よりも大事なことで,人に可愛がってもらえるかどうかは,そこで決まるんだということ
を,コンコンと説きます。(ここまでくれば,穏やかに)

最後に
「すみません。ボクの情けない行動で,先生にしょーもない手間をかけさせました。これからは,言い逃れをせず,きちんと自分から言います」と自分の口で言わせます。

その瞬間だけ怒られずにすんでも,後でもっと怖い目に遭うんだってことを,よ〜く確認して帰すことになります。

小学校だって,教師がそんなに見逃してくれていたとは思えないのですが,最近,とにかくその場しのぎのウソやごまかしが多くて
その時だけ怒られなければ,それで何とかなると思う子どもが増えました。

それじゃ大人になって,嘘つきにしかなりませんので,
こちらとしては,涙が出るまで絞ります。
従って,ほぼ毎日,説教が続くことになるのです。

なにしろ,高校の中退率も上がって,去年はさほどでもありませんでしたが,一昨年は1年で一クラス平均3〜4人は高校を中退しました。
ということは,人にきちんと指導してもらえるのは中学校が最後になるかもしれません。
社会に出て,犯罪者にならないためにも,ここは死守しなければならない物があると信じて,今日も説教です。
しかし,疲れるわ。

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教師の怒り方2

尻切れトンボになってしまった「教師の怒り方1」
みんなの前で,けちょんけちょんにやってしまう「血祭り」をご紹介しました。

みんなの前でつるし上げることを,極端に嫌がる保護者がいます。
「そんなことをしたら,子どもの心に傷が残ります。可哀想じゃないですか」
いいえ
可哀想なんて一時の感傷で,その子がガラスの心のまま大人になってしまったら,
そっちの方がよっぽど可哀想です。
大人になって,理不尽に怒られたりすることが一度もない人生なんて,あり得ませんから。
子どもって,思っているより強くて,したたかで
悪いということがわかって叱られたり怒鳴られたりしたからって
そんなに凹んだり,立ち直れなくなったりはしません。
まして,教師が計算ずくで叱っているような場合,
必ず,フォローとケアが待っています。

「血祭り」には,クラス全員に気付いてもらいたいことや,伝えたいことがある時にすることで
何でもかんでも同じようにはできません。
その子だけにきっちり指導を入れたいときには,
やっぱり職員室で個別に,ということになります。
この,職員室呼び出しには,また大事なことがいくつかあります。

ひとつは声の調子です。
開口一番には,やや大きめの声で怒鳴ります。
これは,「今からやるから」という開会宣言のようなものです。
このあと,声は絞ります。
低い声で,それも丁寧な言葉遣いで,
そして,ここでもやはり,
「自分の何がダメだったのか。」をわからせておく必要があります。
それも,自分の口で言わせるぐらいじゃないとだめです。
それこそ,たかが中学生
しかも,おとなしく職員室まで引っ張られて来ているよい子です。
余裕を持って叱りましょう。

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教師の怒り方

なんとなく書き記す教師シリーズになってきたな。

今回は,教師のしかり方。
「叱る」と「怒る」は違うと言うけれど
生徒の側からすれば,おっかないことにかわりはありません。
できれば避けて通りたいはず。

教師とすれば,ここを逃がしてはいけないので
きっちり捕まえて,どちらも納得したいものです。

いくつかパターンがあるのですが,代表的な血祭りと呼び出しについて。
(物騒なネーミングですが,たいしたことじゃありません)
血祭りにあげるという言い回しがあります。
文字通り,一人をつるし上げて,さらし者にします。
おもに学習の決まり,生活のきまり,提出物などの躾のために
一人に涙をのんでもらうやり方です。

子どもたちには,先生のムシの居所が悪かったぐらいにしか思っていないかもしれませんが,
実際は起こるべくして起こっています。
忘れ物が多い,提出物が出ない,不要物を持ち込んでいるなどなど
どこかでケジメをハッキリさせなければいけない問題があります。
なんか,最近だらしないとか,
テストの後なのに,提出物が揃わないとか,
そろそろ1回雷を落とさなくては,と待ちかまえているところへ
運悪く忘れ物をしたりした不幸なヤツがBINGOになります。

ただし,突然の落雷はよくありません。
仏の顔も3度。チャンスは何度かあるはずです。
私の場合は,たいてい終礼にドッカ〜ンが始まることになります。
朝礼,休み時間,給食,昼休みと,生徒は何度か私の顔を見ているはずです。
なのに,忘れたとも,ごめんなさいとも,待って下さいとも言いに来ない。
機は十分に熟しています。
終礼にはじっくり,時間の余裕を持って,同僚にも
「今日は暴れるから」とお知らせをして教室に向かいましょう。

まずは穏やかに始めます。
「○○がまだ出ていない人,立ちなさい」
ここで立ってくれれば,まだ短くて済むのですが,
たいてい,そんなヤツに限って,立たないのですよ。これが。
どうも,その場だけでも逃れたい一心のようなのです。
「○○くんは,出ているのかな?」
「(ほとんど聞こえない声で)いいえ」
「はぁん?じゃ,なんで立たないわけ?」
「いえ,忘れてました」
「忘れた?締め切りが過ぎて,朝から言ってるのに,忘れた?」
「はい,いいえ,あの・・・」
とだんだん,生徒は返事もぐちゃぐちゃに混ざって,「はい」だか「いいえ」だかよくわからないことになってきています。

でも,忘れてはいけません。
どんなにぐちゃぐちゃになっても,生徒に喋らせることです。
忘れた理由。先生に言いに来なかった理由。
そして,最後に,自分の何が情けなかったのか。
そのまま情けない状態でいたいのか,先生のアドバイスを聞いて,成長したいのか。

学校の先生が叱るのは,あくまでも謝り方をおぼえてほしいからです。
学校なんて,そんな問題がたくさんあるわけじゃないし,
本気で叱るなんてのも,そんなにあるわけがありません。
生徒に教えるのは
「失敗は仕方がないが,何かあったら,先生の所へ相談に来る。失敗は隠さずに,先手必勝,誠意を持って謝るが勝ち」
これってある意味,勉強よりも大事です。
謝れる人間は強いですし,最近の子どもたちは
「謝る」ということに慣れていません。
これはたいへんに不幸なことです。

これは学校で教えることなのかなあ??
疑問に思いながら,でもやっぱり叱るネタが尽きません。

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センセは人間で勝負しなくちゃ

だんだん年を重ね,お局の域に入ってくると,
どうしても新人さんに厳しいことのひとことも言わなくてはいけないような気になってきます。
ヤな性分とも思いますが,苦しい思いをするのが見えていれば
やっぱりなにか一言言いたくもなろうってものでしょう。

まして,自分が若い頃,人一倍情けない教師で
周りに教えられて,育てていただいたのです。

初任からしばらく,授業もろくにできなくて
今で言う教育困難校のようなところで,
「オーシ,行くぞ」と気合いのひとつも入れないと
教室に行けませんでした。

ちょっと楽になってきたかな〜と思ったとき
何が違ったのだろうって考えると,
「自分らしさ」を確立したときだったように思います。
人と違って何が悪い!私は私。
と思えた時から,少しずつ変わってきたかなって。

子どもだけじゃなく,
大人も今はみんなが画一,没個性。
〜らしさが先行し,みんなと違うとたたかれる。
でもね,出る杭は打たれるけれど,出すぎた杭は打たれない。
今は,ちょっと大げさに,人と違う自分を演出しているかもしれません。
生徒たちにも示したいから。
「人と違ってもいいんだよ」

ただ,そのためにはひとつだけ,
教師が教師であるというだけで,教師になれる時代じゃない。
人間で勝負しないと,子どもは足下を見てくる」
何となくでいいから
「この人ってすごい。この人の傍にいれば安心」って
力じゃなくて思わせないと,子どもに影響力はないんですよね。

シュタイナーの教育論にもあるように,
14歳までの子どもには権威が必要。
権威というのは,安心して寄りかかれるもの。
自分を守ってくれると,安心して頼れるもの。

教室の中では私が大木(巨木ではないし,見た目の問題ではないからあしからず)にならなくちゃ。
生徒が安心して教室にいられるように。
ここがきちんとしていなければ,
人と違うのってタダの変人,変態と変わらない。

自分でもなかなかその域にはなれないけれど,
新人さんたちには一度は話す教師の姿でした。

なんか,思い出すことが多いのは
年のせいかな。

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授業って何なんでしょう

だんだん学校現場が忙しくなり,「授業するヒマがない」と表現する人もいます。
確かに今週私がしたことと言えば,
管理運営計画と,教育課程の原稿書きと編集
リーダー会の準備
目標管理
職場体験の事業所への受け入れ要請
その合間に授業をしていたようなものでした。
教育課程と管理運営計画は連休までかかりました。
3日の日にやっと印刷が終わりました。
新採の教師ならともかく
経験も少し積んでくると,授業が一番後回しになったりします。
本末転倒ですよね。

ずいぶん前になりますが
まだまだ駆け出しで授業も下手くそで,
自分に自信なんて全くありませんでした。
(今でも授業は苦手なときがあります)
尊敬する先輩教師と授業について話をしました。

彼は言いました。
授業は教師の命だ。
持てるすべてを注ぎ込んで授業をするのだと。

もともと出たとこ勝負の私にとっては
今もそうですが,授業はステージのようなものでした。
教室は舞台。私は芸人。

彼は,私に言いました。
「お前,軽すぎる」

でも,私にはそれが精一杯だったのです。
彼は私に信念を持つことを教え,生徒と共にあることを教え,
今は日教組の役員をしています。
私には永遠のチェ・ゲバラ。

今でも,私は芸人。
授業はステージ。生徒は観客。
親の死に目にも会えない芸人。芸を磨くのは芸人のつとめ。

他のことに時間を取られて,芸の仕込みができなくなれば
少しは過去のネタで食べては行けるだろうけれど
いつまでも持たないのは分かり切っています。
売れなくなれば捨てられる芸人と一緒で
授業ができなければ教師なんてできません。

みなさんはどう考えているのでしょう。
同業の人は?生徒は?親は?世間の人は?

ちょっと考えた日曜の夜でした。

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タグ:教師 教育 授業

新人さんは大変

2007年問題は教育現場にも無関係ではなく,
今年は例年に比べ,ずいぶんたくさんの新採がいます。

私が新採の頃は初任者研修といってもたいしたものではなく,
今でも憶えているのはスキー水泳ぐらいですが,
今年,時間割を組もうとして,はたと止まってしまいました。
初任者研修がキツイ

新人さんは,まず週に1回巡回指導員という名の退職校長が回ってきまして,

その人に2時間(1時間は指導案を書いて,1時間は指導案まで書かずに)授業を見てもらいます。

その授業の反省会がその日のうちにあって,もう1時間授業準備のために巡回指導員と打ち合わせをする時間があります。

つまり,巡回指導員が来る日は,

授業2時間+準備&整理の時間が3時間
が拘束時間になります。

その他にもう1日,
同じ学校の先輩教師(教科指導員といいます)の授業を1時間参観し,一緒に整理会をする日があります。

さらに,木曜日は

1日学校を空けて,校外で活動をする日
があります。

何をするのかというと,研修の日もありますし,今の震災の後なんかへボランティアに行く日もあるのだそうです。

だから,木曜日は授業を入れてはいけません。

となると,です。
1週間28コマの授業時数で,木曜日を空けて22コマに授業を入れます。当初持ち時間16コマで考えていたのですが,

巡回指導員の来る金曜日はもともと5コマに授業2コマ。

と,残りの月,火,水の17コマに14コマの授業を入れることになります。

え〜,1日1コマやっと空く。

学級担任ですから,必ず毎日の学習ノートを点検し,コメントを書く時間が1時間弱取られますから,

単純に計算すると,彼女は1週間,息つく暇もないほど授業と課題に追われることになります。

その他に当然,部活動と校務分掌が乗っかってきますから,
夏休み以前で息切れしないように,うまく助けてあげなきゃ,潰れてしまうかもしれません。

新採を甘やかす必要はないと思っていますが,
あんまり締めすぎてもよくないのではと思います。

ちなみに,私が今の時代の新採だったら,
絶対続いていないと思います。
昔で良かった。。。。

しかし,そこまで手をかけなきゃ教師も育たない時代になったのでしょうか。

そりゃ子どもに手がかかるはずやわ。

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教員の種類と傾向

で,いろいろ言われる教員にも様々な種類があって,そりゃあいいのもいれば頭を抱えたくなるのもいるわけです。

ところが,世の中って面白いもので,子どもにももっといろいろあるらしく,教員仲間が頭を抱えたくなるような人にも,「この人じゃなきゃ」って慕う子がいるんですね。

すべての人にとっていい教師でなくても,誰か一人の恩師であればいい。って,ほんとそうなんだとつくづく思います。

当然,自分のクラスでも,私に合わない子が必ずいます。申し訳ないよなあ,と思いつつ,クラスを分けて,誰が持つかわからない状態で4月を迎える以上,ある程度の相性のズレは仕方ないだろうと思っています。

だからこそ,いろんな人がいればいい。

個人的には教員の個性ははっきりしている方がいいと思っています。濃すぎるくらいでちょうどいい。

教員にも競争原理を持ち込みたがる人がいますが,これには私は反対です。競争の道具にされる生徒こそいい迷惑で,学年の教師は完全にスタッフワークです。

経験的には,教師の色が濃く,(色黒って事じゃないからね)しかも,みんなの仲がいい時が生徒にもいいと思っています。
生徒指導をする上で,教師の間に隠し事がなく,お互いの弱点を笑ってカバーできることが,生徒の問題行動を防ぎ,安心して生活できる環境を作るからです。

生徒は見事に教師の人間関係を映します。自分の担任が不信感を持つ教師の授業を,生徒は聞かなくなりますし,お互いにバカにしあっていると,生徒は間違いなく一番弱いところを突いてきます。多くの場合,半年もしないうちに,学年中に荒れる兆しが見えてきます。

荒れてしまった集団は可哀想です。一部の生徒が授業を妨害するために,多数の生徒が落ち着いて学校生活を送れなくなりますし,一部の生徒の後始末に教師の手が取られて,一般生徒はほったらかしになるのがほとんどです。本来,一番大事にされるべき「普通の生徒たち」が一番後回しになるのです。
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