【教育に関すること】 の記事一覧


英語を勉強する目的

大晦日だっていうのに,なんか手持ちぶさたなすずめです。
記事3つも書いてどーすんの☆α==(・・#)パーンチ

さっき書きかけた「何のために英語を勉強するか」ってことなんですけど,
それって各教科がそれぞれにいろいろ考えるんですわね。
で,いろんな答えを出すわけなんですけど,
生徒にどう説明します?

受験にあるから,高校に入るために・・・・じゃ寂しすぎますよね。
それじゃ,じゃあ,高校入ったら勉強しなくていいの?
高校行かなくても勉強しなくてよくなっちゃう。

国際人になるため,外国の人としゃべるため・・・・
将来外国にいくため,仕事でいるから・・・・
じゃあ,外国に行かない人はしなくていいんだ。
英語と縁のない仕事に就く気ならいらないし,
田舎にいるってだけで英語の勉強なんかしなくていい確率はぐんと上がる。
なんか説得力ないですね。

最近思うんですけど,
純粋に,「英語」みたいな未知の言語で自分の思うことを表明するって
それだけでワクワクするし,楽しいことだと思うんですね。
世の中には,こんな言葉を使って,同じ思いをこんなに違う方法で表現してる人たちがいるんだ。それを知るだけでも英語を勉強する意味ってあると思うんです。
人間って世界中どこの人だって,そんなに感情に変わりはありません。
でも,表現方法はものすごく違う。
英語を学ぶって,その違いを学ぶことだと思うんです。
それによって,理解できる範囲がぐんと広がってくる。
となりにいる人が自分と違うってことがわかるだけでも,「なんだこの野郎!」って思う機会が半減します。

全くの個人的見解なんですけど
いろんな教科には,それぞれに目的があると思うんです。
指導要領にはコミュニケーションの態度の育成だの,能力の基礎を養うだのと書いてあるけれど,あれって「目標=到達点」であって,「目的=意味づけ」じゃない。

その考えで行くと,考え方の筋道や真偽眼を養う数学や,社会人としての基本中の基本を学ぶ社会なんて,まさに人間の本質を磨く,ものすごーく大切な教科のはずなんですけど,どうもそこまで自覚を持って教えたり学んだりしていないような気がするんですね。
当然,子どもにそんな意識なんてありませんから,
教師の方が折に触れて説いていかなきゃいけないと思うんですけど
どうなんでしょう?

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ありがとうございました
タグ:英語教育

英語を勉強すると日本語がおろそかになる?

ここんとこ珍しく真面目な記事を書いてるなあ

で,英語教育を小学校に導入するにあたって,どうしても出てくるのが
「日本語も完成していない子どもに英語を学ばせることは,日本語の習得に支障を来し,有害である」という意見なんですね。
英語教育推進派のよりどころの一つが,言語習得年齢ってヤツで
12歳だったかまでの人間の脳が言語習得に向いているのだから,早いうちから英語に触れさせた方がいいって言うことらしくて
それで,中学生になって言語習得の期間を過ぎてから英語に触れさせても,上手にはならないって,まあ乱暴にいうと,そういうことらしいです。

でもね,大人になってからだって,極端な話,英語圏に行って,英語話さなきゃ死ぬって状況になって,それでも英語覚えない人はいないし,
仮に中学校卒業時にベラベラバイリンガルになっていたと仮定しても(あり得ないけど)それから大学卒業まで使わなきゃ,間違いなく全部忘れます。
んじゃ何のために英語勉強してるんだろう??
って,そんな話じゃ今はなくて,

小学校から英語をやり始めると,日本語に支障を来すかってことでしたね。
結論から言って,んーーーーー

英語なんかやらなくても,日本語に支障来してるんですけど・・・・あ,違うか(-_-#) ピクピク

タダでさえ白人コンプレックスがある日本人が,英語にかぶれれば,
どこかのヘンな英語教師に時々見られるように
「英語ではね」とか「アメリカではこんな時」「日本では・・・・」なんて振りかざして,なんでも欧米風に飛びついちゃうかもしれません。
現にそういうちょっとズレた英語教師もたくさんいます。
やたら横文字使いたがって,欧米の行事なんか喜んで取り入れて,
まあ,罪はないんですが,どうも軽くていけません。

そんな事態を回避し,外国の人と渡り合うために,文科省は今度,
日本文化や伝統についての授業を入れるようにと言っています。
英語でも日本について語れるようにしなさいということです。

ただね,こういうことは私は社会の教師が中心だと思うのです。
郷土について,文化について,伝統について,政治についてって
みんな社会じゃないですか?
なんでそれを英語でやらなきゃいけないわけ?しかも,英語使って。
一部古典については国語が主流のはずでしょう。
源氏物語を日本語でやるより先に英語でやらなきゃいけないなんて言われたら,それこそ暴れていいですか?

だからね,つまり,そういう教育のことは,全教科で考えなきゃいけないことで,英語だけの問題じゃないし
英語をやってる傍ら,音楽も,体育も,国語,社会も,みんなきちんと郷土のことを教えてくれれば,全人的教育ってことで,初めて人間が豊かになっていくのだと思うのです。

ってわけで,世界に通用する日本人を作るためには,英語だけじゃダメです。英語をやってるから他の力が抜けちゃったではないのです。
全部の教師に頑張ってもらわなきゃ。日本語をおろそかにするのではなく,もっと古典や名作に触れさせて,日本語も鍛えないと,英語が無駄になります。将来の仕事相手としての欧米人は,英語を使って日常会話をすることを望んでいるのではなく,英語を使って日本のことを語れる日本人を期待しているのですから。

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ありがとうございました

英語で授業をするってこと

今回の改訂で高校の先生たちが不安がっていることの中に「英語で授業をする」ってことがあって
まあ,落ち着く所,全部英語は無理だから,半分ぐらいってところにいくか,oral communicationの授業は外国人に任せて全部英語でしてもらい,文法とリーダーの授業をそこそこにってことになるんじゃないかと思っているのだけれど,
ただ,私は逆に問いたいのは
「あなたの日本語の授業,生徒は理解していますか?」

実は中学校だって,全部コテコテの日本語でやっていたって
わからない子が6割とか出てくるんです。
日本語だからわかっているはずって思っていませんか?
読み物教材を日本語に訳しても,確かに日本語を提供はしていますけど,かなりわかっていない部分が出てるんです。
生徒って,日本語が通じていない時があるんですよね。

訳文なんか渡しても,実は理解していない。
だから,業後に感想を聞くと「わからん」「なんもわからん」「英語は嫌いや」って言うんです。
教師はイラつきますね。
「なんで日本語上げてるのにわかんないの?授業ちゃんと聞いてないんでしょう!」
いいえ,違うんです。
それは,生徒が日本語の字面だけ見ていて,理解していないのです。

英語で授業をするっていっても,教師がnativeのようにべらべらしゃべれば,それでいいかっていうと,答えはNOです。
日本語だって理解していないのに,英語のベラベラ聞いて,わかるはずがないでしょ。
子守歌にしかなりません。いいえ,お行儀のいい子たちなら子守歌でしょうが,元気なお子たちならいなくなっちゃいますね。
黒板向いてベラベラやって,振り返ると誰もいなかったりして。
しゃれになりません。

先生は日本人なんだから,英語のどこがわかりにくいかをきちんと把握できます。絵や図,部分的な日本語も混ぜて,生徒に伝わるように話したり,何度か,英語と日本語を交互に繰り返したりして,少しずつならしていきます。質問がわかんないようなら,答えの例文を出してやると,生徒は何を聞かれているかを理解します。
そうやって伝えてやることが大切だと思います。
どっちみち外国人のようにはできないんですから,せめてわかんないってことをわかってい上げましょう。
英語だって言葉なんですから,伝えてなんぼ。理解させるには教師の方も教材研究と練習がいります。

そうやって1年生から頑張ると,教師が日本語でやってようが英語でやってようが,生徒はあまり気にしなくなります。
自分がやることさえしっかりわかっていれば,それなりに動きますし,
終わった後で,「なんもわからん」とは言いません。

経験則ですが,生徒が「わかった」と言うときにはいくつか型があります。
まずは自分がたっぷり活動して,しかもそのページをしっかり読めるようになったとき。
自分が活動に遅れず,みんなと同じ動きを同じ時間でできたとき。
読み物ならそのページに書いてあることが,感覚的に理解できたとき。
英作文などを時間内に書き上げることができたとき です。
どれも生徒自身が授業中にしっかり活動できたことを実感できた時なのでしょう。
そして,「わからんかった」というのが
時間がなかったりしたときに,一方的に日本語訳をしゃべったときです。
これはてきめんです。

そう思うと,いかに英語を通じさせて,生徒を動かしてわかった気にさせるかが大事であって,どんな言語を使うかは次元の違う問題なんだなと思えてくるのです。

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小中連携の難しさ 2

さて,前の記事で,小中連携の始まりの難しさについてお話ししました。
1度目が始まっちゃえば,あとは何とか続きますし,
10年前に比べれば,たてよこともに連携のハードルは低くなってきていると思います。
すずめが昔,生徒会を担当していて,中学校の生徒を連れて,小学校へ説明会に行きたいと言ったときは,もー
中学校の校長さんが「やってみれば」と言われるので小学校にコンタクトを取ろうとしたら
なんで最初は管理職から連絡が来ないだの,文書がないだの,手順がどうだのさんざん文句を言われたあげくに断られ・・・・なんてこともあって懲りちゃったこともありました。
今じゃ当たり前に行ってますけど。

なんでも最初って抵抗があるのかもしれませんが。

小中連携の会だって,年間計画に入れちゃって,教務で連絡とって調整すれば,年間3回(うち1回は夏休み中)ぐらい入れるのは何でもないことですし,とっても便利になります。小学校とも連絡が密になれば,
何がいいって生徒指導が一番いい。
最近のようにあちこちで学級崩壊されちゃうと,
特に理科の分野なんて,特定分野がすっぽり落ちちゃうんです。
中学校に来て「なんで??」ってことになる前に,次の子はこんな子たちってことがわかるだけでもずいぶん違います。

英語でも,中学校教師が出前に行こうって運動は当然考えられますが
これには別の壁があります。
小学校英語の入るようなところは,それを受ける中学校でも,総合の時間を流用したり,今年からなら学校選択を取り入れて,英語の時数を増やします。
人事にはそんな都合など関係ありませんから,当然週3時間分の人間しか来ません。
その数で4時間をまかなうことになるので,英語の教師は週24コマだの,22コマだの持たなければいけないことになり,ほとんど空き時間がなくなってしまうのです。
これで学級担任もすれば,1日中職員室に姿を見せないなんてことにもなります。
小学校へ行こうにも,中学校の授業の「合間」がないのです。
それで行けといわれたら,それこそ英語の先生たちは倒れてしまいます。
ワンショットで6年生たちに,気分だけ味わってもらう程度ならともかく,実効のあるところまではいけないのが実情です。
それを英語教師の怠慢とは私にはとても言えません。

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小中連携の難しさ

小中の連携の話を昨日書いたつもりで寝てしまったのですが
待ってましたとkurazohさんがコメントつけてくれてますけど,
ちょっと方向が違います。

昨日も書きましたが,何も英語に限らず,小中連携はやった方がいい,というより,必要な物だと思うのです。
にもかかわらず,今までそれがほとんど進んでいないのは,英語をやっていなかったからではなくて,やっぱりある種の縄張り意識があるからだと思うのです。
小学校から中学校に上がるころ,たいていの子どもは思春期を迎え,良くも悪くも変わります。
男の子なんか,声変わりもしないボクで入学してきて,
毛むくじゃらのおっさんになって卒業していく子もいるわけですから
劇的な変化といえます。
内面的にも第二次性徴を迎えて,ちょっと大人になっていきますから
小学校の時と行動パターンは変わってしかるべきなのですが
まあ,どうしても整わない所には
「小学校ではこれで通ってきたんか?」と非難がましく言う人もいますし
逆に中一ギャップに悩む子を見て
「せっかく育ててきた子を中学校が潰してる」という人もいるわけです。

そこに英語が加われば
「もっとちゃんと指導してよ」という中学校側の要望が出たり
「せっかく仕込んだのに伸ばしてくれない」という小学校側の嘆きが聞こえたりすることは想定の範囲内のことです。
そこにまた小学校間の温度差なんてものが加わったりすると,
「どこそこの小学校はちっとも指導なんかしてないじゃないの」
なんてことにもなりかねません。
もちろん中学校に入るときに分かれる子もいるわけですから
「どこそこの中学校の英語はなってない」ってことも予想されます。
泥仕合です。これじゃよくなる物もよくならない。

だからといって,放っておいても小中連携にはつながりませんね。
誰かが言い出して,抵抗分子を説き伏せて,一回目は強引に日程調整をしない限り,小中の教員が同じテーブルに着くことはないと思っています。ましてや心の中にお互いへの不満があればなおさらです。
kurazohさんが,たぶんそれだから教員は・・・・とまたコメントをつけてくれるのでしょうが,たぶん,この現実はどこにでもあることだと私は思っています。

この場合,強行に一度目を開催できるのは校長さんしかいません。
「やるぞ」の一言に,教頭と教務主任が動いて実現することです。
数年前に私の自治体で小学校に英語活動が来たとき,
夏休み中にもかかわらず,私が個人的に小学校の先生たちの相談に乗ろうとしても,小学校の校長さんの中には,「年休対応」って学校から出してくれなかった人もいました。
別に出張扱いにしてほしいなんて言ってない。さぼってるみたいにコソコソ出てこなきゃいけないなんて,おかしいと思うんです。
(今はもうちゃんと位置づけられてできるようになりました)

話し合えば,いろんな知恵が出てきますし,
それまで中一でやっていた「英語に慣れる活動」や使っていたノート,ペンマンシップ,指導法,ゲーム・・・・全部渡しました。
小学校で楽しく歌って,動いて,できれば文字なんかも,大きな画用紙に色使って描いたりして楽しめばいいんです。
その分,中学校では,同じゲームでも,音声学を使った読み方カルタや綴り方ゲームなど,少し高度な物から入るようにしました。
その方がお勉強としては統制もとれて,手応えもありますからね。
最初はですから少し混乱しましたが,
結果としては,リスニングの力が伸びているようです。
興味関心はまだまだ大きな課題ですし,中一の最初はまだうまくいっているとは言えませんが,落ち着いては来るものです。

まだまだ別の問題は,またの機会にしましょう。

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小学校に英語が入ると

前の記事のコメント欄にいただいた言葉をまとめると

・これを機に小中の連携を深め,教育改革ができるチャンスととらえるべき

・教科書の内容を含め,もっと論議すればいい

・日本全国いろいろな所で小・中ともに困っている。どうすればいいのか

ってことじゃなかったかなと思います。高校の先生もいらしたら,どんなご意見になるのかちょっと楽しみな気もしますが
私の考え(あくまでも私見ですからね)を述べさせていただきます。

小中の連携は,何も英語に限らず,絶対やった方がいい,というか,必要な物だと思うのですが,今までそれがほとんど進んでいないのは,英語をやっていなかったからではなくて,やっぱりある種の縄張り意識があるからだと思うのです。英語を導入したからと言って,小中連携がはじまるわけではない。
むしろ下手をすると,反目しあうことにもなりかねません。

ここには,やはり校長さんの強いリーダーシップと職員の協力が必要です。

あ〜〜眠い
続きは明日です

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英語教師の受難は続く

で,今は高校の先生たちに恐怖を与えているであろう学習指導要領改訂であるが,
これは小学校の先生たちにも不安と恐怖を与えている。
小学校における英語活動である。

なぜこれが恐怖かというと,小学校における英語活動は,担任の先生がすべて行うのだ。
そう,つまり,英語と縁を切って小学校の先生になったはずなのに
ここへ来て,なんで英語をしなきゃいけないと思っている人も多いだろう。

で,それが中学校に及ぼす影響というのは

一つは入学したときからすでに英語嫌いがいるだろうなということ。
もう一つは1年生での英語の指導から,いっそう興味がなくなってしまうのではないかという懸念である。

テストも評価もしなくても,週1回しかない英語の授業だ。覚えていないと楽しくないこともたくさんある。
すでにお勉強が嫌いなちびっ子たちが,そんな場面で英語だけ覚えているとは思えない。つまり,英語なんて面白くないと思う要素はいくらでもある。
それで「英語なんてつまんないや」と思ったまま中学校に上がり,
やれスペルだアルファベットだと言われ,
小学校からやっている分,予備知識を期待される。
一部の物覚えのよい,英語大好きっ子たちはいいが,
そうじゃない子にとって英語が小学校からの苦手科目になってしまう公算は大きい。

現在は中1を指導する英語教師は,
アルファベットを覚えるために歌い,踊り,ゲームをして生徒の関心を集めようともがいている。
しかし,悲しいかな,思春期にさしかかった男の子たちに,えさを待つ小鳥の雛のような口を開けて,歌えといっても,難しい。
小学校でなら,全身で遊んで踊って身につけられるようなことも,中学校では限界があるのである。
それをもっと小学校で楽しんでこようというのだ。
子供だましのゲームなど,役に立たないのは目に見えている。
中1における英語の指導は大きく様変わりせざるを得ないのである。

いったい,他のどの教科に,ここまでの変革があっただろう。
ALTとのTTが当たり前になり,英語による授業を求められ,指導法は10年前とは国が違うんじゃないかと思うほど変わった。
それにさらに小学校英語が加わり,入門期の指導法を大きく変えなければならない所に来ている。
しかも,その指導法は,どうやら日本人に英語を使わせるにはまだ不十分な指導法なのだ。これからまだまだ新しい指導法を編み出して行かないと,日本の学生が英語を話すようにはならない。

授業の道具を山のように抱えて廊下を歩きながら
チョーク1本持って授業に行く他教科の教員たちに
「あんたも,英語の教員ぐらい苦しんでごらんなさい」と思わず冷たい視線を浴びせてしまう無能な英語教員なのである。

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いよいよ来たか,英語教師の受難

<高校新学習指導要領案>英語で授業…「自信ない」教諭も
 「使えない英語」から「使える英語」へ。22日に公表された高校の新学習指導要領案は「英語の授業は英語で行うことを基本とする」と明記した。文法中心だった教育内容を見直し、英会話力などのアップを目指すのが狙い。文部科学省は「まず教員が自ら積極的に用いる態度を見せるべきだ」と説明する。だが教諭の英語力や生徒の理解度はばらつきが大きい上、大学入試は従来通りとみられ、現場からは効果を疑問視する声も出ている。【三木陽介、平川哲也、高橋咲子】(毎日新聞)

小学校から中学校へ,新学習指導要領は少しずつ確実に広がり,
学力向上のための改訂は高校に及ぶことになる。
中学校でのall Englishの授業は,うちの自治体はもう何年も前から指導されていて
年に数回,指導主事が視察に来る。
ちょっと前までは教育長自ら,英語教師が英語の授業を英語でやっているかを確かめに来ることもあった。
年に1度英語の教師対象に調査があり,TOEICとTOEFLのスコア,英検の取得級,英語の授業をどれくらい英語で行っているかを答えさせる。
当然,「英語が使える日本人」の育成のための行動計画(平成15年ぐらいだったと思う)に基づいて,英検なら準1級,TOEICなら760,TOEFLなら550以上が目標とされるのだから中学校の英語教師の現状からすれば,ほとんどイジメか退職勧告のようなものである。

まだはっきり「辞めろ」と言われてはいないので,
私を含めた厚顔無恥な英語教師たちは,さして努力をすることもなく
毎年同じ報告書を書いているが
そのうち教員免許の更新項目にTOEFL受験が入れられて(なぜか文科省は他の2つよりこれがお好みらしい)
規定に到達しなければ免許を剥奪されるかもしれない。

それがいよいよ拘束力を持って高校に導入されていくのだ。

冷たい言い方をすれば,
中学校でもこんな目に遭っているのだから
高校の先生だって多少苦労すればいいとも思う。

実際は,
私も100%英語で授業をしているわけではもちろんないし,
高校には大学受験というハードルがあるわけだから
難しい点もあるだろう。
でも,案ずるより産むが易し。
全部英語で授業をしても,生徒がちんぷんかんぷんにはならないことは
底辺レベルの高校進学がかなわない子もいる中学校で立証済みである。
文法の説明は日本語で行うが,リーディング教材や会話の授業は英語のみでなんとかいける。

ダメだの無理だの言う前に,挑戦してみてほしい。
中学の教員よりずっと優秀なはずの高校教員にできないわけがない。
ただし,仮にすべての高校教員が英語で授業をしたとして
それで高校生が英語を使いこなせるかというと,それは別問題である。

なぜなら
日本人には日常生活において,よほどの場合でない限り英語を使う必要がないからである。

おっと,なんか,私らしくない記事だ。

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なんか釈然としないんだよなぁ

学力向上の一斉唱和で,授業力向上が厳しく言われるようになり
教師もいっそう研修に無理矢理でも行かされるようになった。

経験上,一番自分の授業に影響があったのは
TTで教えた1年間。それも自分がメインではなく,サブに入った授業がそれまでの授業そのものをひっくり返してしまった。
自分と個性の違う授業者の,研究授業でもない日常の中で何が行われているのか,1年間見ることは,自分の中で新しい自分を作るくらいの変化があった。

はっきり言って,仕上げられた研究授業には目新しい物はないし,
大学の先生がいろいろ言うことは,なるほどと思うことはあっても,実践し続けるのは難しい。
自分で本を読んでも,首をかしげて終わったり,これは何を言おうとしているのだ??と頭を抱えて終わることもたびたびである。

そんな中で,ここ2〜3年,オーラルイントロダクションといって,
文字を最後に回して,言葉で新しいことを導入する方法が,うちの自治体の研修の主流になった。
私が大学時代に学んだ同じ名前の指導法とは全く異なるもので,
確かに子どもには力がつくように感じて,指導主事も強引と言えるまでに導入してきたのだろうと思う。

それも最近,疑問に思うようになった。
「学びの主体は学習者」になってないような気がする。
授業の達人と言われる人は言う。
「教えちゃダメです」
う〜〜ん,教え込みだよなぁ。自分のやってること。

そこには,授業改善で,学力調査の結果を上げるという,数値目標が絡んでいる。「平均点より上をいけ」
そのための合理的な,時間を無駄にしない教え込みなのだ。
子どもに余計なことを考えさせず,指導要領以上のものを定着させようとする。
教師側の都合がはっきり見える。
短絡的に点数を上げることは,生徒も保護者も教師も喜ぶもんね。

でも,結果として見えてきたこと。
A問題は得点が高くても,B問題になると,どうしてできないのかわからないようなところで躓いてしまう。
応用力がついていないのだ。
子どもを兵隊さんにしてしまっている。
マズイ。

昔々,わけもわからず,ただ自分の楽しいことをめちゃくちゃにやっていた頃の方が
生徒は英語が好きだったかもしれない。
あの頃の教え子に,何人か英語教師がいる。
思い起こせば,ウソもたくさん教えていただろうに
恐ろしいことだ。

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タグ:授業改善

思いを伝えるって難しい

教師が生徒を呼び出して指導する時なんて
およそいい話題ではない確率が圧倒的に高いわけで
呼ばれた方は最初から構えに構えて,何を言われるのかを必死で考えてくる。
後ろめたいことがいくつもある子などはもっと可哀想なもので
あれか,これか,どこまでばれているのか,下手な受け答えをすると,
余計なことまで怒られるわけだから,
なんと返事をしたらいいのか,授業中なんかとは比べものにならない速度で脳みそが回転しているはずである。

だから,「何で呼ばれたかわかる?」と聞かれたときには
おっかなびっくり,やぶ蛇にならないように,慎重に言葉を選んで
まずは「わかりません」と応えてくることになる。

最近の怒られなれていないお子ちゃまたちは,とにかく目の前の「怒られる」という状況から必死で逃れようとするので,
ごまかし方もその場しのぎになることが多い。

それでも誰かをいじめたり,約束を破ったり,仕事をさぼったり,違うことをして誤魔化したりと,怒られることをいろいろやらかすのが子どもって存在なのだから,何かをやらかしてしまったときには観念して怒られてほしいものである。

ところが,これまた,お子ちゃまたちは,「先生はボクが嫌いだから怒るんだ」なんて低次元のところで落ち込んだり場合によっては逆恨みしたりすることが決して少なくないので,
「私がこんな風に怒るのは,あなたがまっとうな大人になってほしいと願うからで,あなたが嫌いなわけじゃないのよ。むしろ,とっても好きだから,厳しいことも言うのだからね」
なんて歯の浮きそうなことをしっかり伝えてやらなければならない。
さらに,家にその子が帰るより先に電話をして,これこれこういうことで指導したのだけれど,落ち込んでいたらケアをよろしくと頼んでおく。その際に親にも,「いい子なんだけど,指導は指導なんて,ちょっと厳しかったかもしれないけれど,すみません」と一言言っておく必要がある。
ここで手抜きをすると,結局家に帰った子どもたちが,
「今日はよくわかんないけど,いきなり先生が切れてきて・・・・」なんて親にこぼして,電話がかかることになる。

確かに心配もしなければ,腹も立たないわけだけれども,
おだてたりすかしたりしながら,
なんか,子どもに媚びを売っているようで,
ほんとにこれでいいのかしらと自分に自信がなくなってくる毎日である。

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タグ:生徒指導

お先真っ暗・・・・

すずめには,実際,経済のことなんてちっともわからないので,
間違ったことをいっていたら教えてほしいのだけれど,
アメリカでサブプライムローンとかいうのが破綻して,
シティ・バンクって大きな銀行が経営難に陥って
そこから世界中に金融不安が広がって行った。

不安材料が増えると,今までお金が流れることで回っていた株や為替の世界が一気に停滞し,飛んでいる飛行機でエンジンが停止したように,
経済全体がきりもみ下降状態に陥ってしまったらしい。

世界のトヨタの利益が一気にしぼんだのに象徴されるように,
日本の景気も,バブルがはじけた頃を思わせるお先真っ暗状態になってしまった。

あぁ,またか。
また,長い長い不況の時代がやってくるのか?
小泉さんのころにアメリカを追っかけて,無理をした構造改革のツケが
また国民を苦しめるのか。

裕福な家庭はまだまだ裕福だろう。
でも,あのバブル崩壊以後,悪意がなくても給食費が払えなくなり,
それまで専業だった母たちが条件の悪い派遣で働くようになり,
それでも収入が100万を越えると扶養家族になれないからという理由で,賃金の低いパートの状態を選択する,

だいたい専業主婦の優秀で安価な労働力に,育児も介護も期待して知らん顔を決め込んでいる日本の政治家の発想から考えて,ついにそこに労働力まで担わせては,家庭にひずみが来る所だって多々あろう。

そのひずみは縮図になって子どもに出てくる。

精神的に病む子がどんどん増えている。
親に心配をかけられない,親に本当のことを話せない。親にこれ以上迷惑をかけたくないと悩んで保健室に通う子どもが増えている。
それでも親の期待に応えようと,けなげに苦しんでいる。

連絡を取ろうと電話をしても,親がなかなか帰っていない家がある。
派遣で働いているため,毎週のように職場が変わる母たちがいる。
母の不規則な就労時間のため,朝から一人で起きて,ひとりでパンをかじり,ドリンク剤を飲んで登校してくる子どもがいる。
途中でコンビニに寄り,そこでおにぎりを一つほおばって出てくる子もいる。
制服が破れても次を買えない子も増えた。
B級申請(就学援助)の割合が,1割を越えている。
しかも,彼等の場合,家の預金口座に援助費を振り込むと,生活費に消えてしまうので,学校長の口座に振り込んでもらう形にして
給食費や修学旅行の費用を払う。

最近麻生さんの高級な暮らしぶりについていろいろ言う人がいる。
でも,小泉さんの頃からの,このツケを払わなければならない立場の人には,庶民の状態をしっかり認識してほしい。

公務員で,それでも給料がもらえることが申し訳なく思えてくる
っていうと,「なら返納しろ」って声が聞こえそうだが
そんなことを公然と言う世の中なんておかしいでしょ!
国民にそんなことを思わせる政治なんて終わってる!!

失礼しました。
ちょっと愚痴でした。

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制服の着こなし

最近,一気に寒くなってきたので,女の子たちのスカートの裾からハーフパンツが見えるようになってきた。
男の子がズボンをずりさげる腰パンはよく見かけて,そのたびに引っ張り上げるのだが,
スカートの裾から何かが見える状態は,おばちゃんにはどうにも許し難い。
女の子たちは「寒いもん」というが,じゃあ,タイツなり毛糸のパンツなりはけばいいので,なにもスカートから中身をのぞかせる必要などない。
確かにレギンスとワンピースの組み合わせなんてのも街では見かけるが,制服のスカートはそんな仕様にはなっていないとおばちゃんは思う。

これだけ女性のパンツルックも一般的になってきたのだから
女の子の制服だって,スカートとパンツを選べたっていいのに。
おそらくそういうと,「女子の制服にパンツなんて」と言う人が多いのだろう。
でも,今,ここを読んで,そう思った人は,知らないうちにセクハラをしている可能性を疑ってみてほしい。
女だからスカートonlyという考え方には根拠が乏しいと思う。

いや,今はそんな話じゃないんだ。

寒いからなんて理由で,スカートの下から何かが見えていても平気という,その感覚が理解できないおばちゃんなのである。
そのくせ,「そんな寒いのならババシャツ着ればいいじゃん」という,制服の下は素肌という全くもって理解を超えている娘たちがごろごろいる。

昔はスカートの下には,下着が見えるのがイヤで,ブルマをはく子が多かった。
この,女の子たちがいやがっているのに,男たちの視線を集めてしまう,罪作りな体操服が使われなくなって,
ハーフパンツを代わりにはくようになった娘たちを,だから責めるつもりはないが,どうしてスカートの下から見えるようにはくのだろう。

母たちは何も言わないのだろうか?
おばちゃんの感覚が古いのだろうか?

いやいや,やっぱり許せない。

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タグ:校則 制服 学校

再度 価値観の押しつけ

以前に価値観の押しつけってことについて書いたところ
今もなお,いろいろ言ってくださる方がいらっしゃるのですが

私は子どもに関わる大人のすべてが
多かれ少なかれ自分の価値観を押しつけて子どもに接していると思っています。
いえ,範囲を広げれば,友達だってある意味,価値観を押しつけています。
それがいいとか悪いとか言う問題抜きに,
人間が関われば,お互いにそういう影響をしあうものではないのでしょうか??

まして学校なんて壮大な押しつけシステムの中にいて
「私は価値観を押しつけるようなことはしていません」なんて
逆にそんなことを言う人がいたら,自覚が足りないんじゃないかと思いますけど
どうも,「価値観の押しつけは罪である」のように思っている人が結構いらっしゃるような気がします。

子どもに対しては
いろんな人がいろんな価値観を押しつけて,いろんな立場から
「こうするもんだよ」
「こんなことはしてはダメだよ」
「こうできたって,偉いねぇ」
「もっとこうならなかったものかね」
とよってたかって育てるのが私はいいと思っています。

いろんな方向からぐいぐい押されて,
子どもはいろいろ考えて,自分に合ったものを,納得できる形で取捨選択し,バランスのとれた人間に成長するのではないかなと
そのためには,甘い言葉と,心地よい思いだけではなく
悔しい思いや,理不尽なことへの反発,悲しさなんかも感じる必要があるのではないかと思うのです。
子どもは,そのすべてを糧にするしなやかさを持っていると,私は信じています。

周りの大人は,「自分はこう思う」ってことをきちんと表明して
子どもに考えさせることが必要なんじゃないかなと。

学校の中で,一番理不尽なのは(私に言わせれば)頭髪や服装の指導なんですけど,
これをやらないわけにはいかないので,まあ,仕方なくやるわけです。
これほど極端な「押しつけ」と人権蹂躙はありませんよね。
ただ,頭髪なんかは,理論上,茶髪だろうが,ストパーだろうが,結んでようがなかろうが,本人の人となりには関係ないんですけど,
実際,勉強が一番だと,前髪が長ければ邪魔だし,顔にかかればうっとうしいし,髪の毛の加工に使うヒマとお金がもったいなくなる(と思う)わけで,一生懸命,髪に命をかけているってことは勉強には力が入っていないんだなあと思われても仕方がないとも思います。

格好かまわなかった大学生も,就活となるとリクルートスーツに髪型もさっぱりさせるのと一緒で,受験期ともなれば,人受けのいい姿になるのも,これも当然でしょう。自分一人で生きているわけではないので,
人からどう見えるかも考えなくてはなりません。
「人は見た目が9割」って本もありましたが,受験生には「人は見た目が10割」と言っています。

こんなことのすべてが,私は押しつけだと意識しているのですが
それって普通じゃないのでしょうか?

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ありがとうございました

教師たちの協力態勢は・・・・

10月20日ぐらいだったかと思います。
文化祭の準備が一気に始まってから,あのミシンとの格闘に始まり,
その後の実力テスト,研究授業の準備と未だに学校で生活しているすずめになっています。
10時まで学校なんて,潤いがなくていけないとちょっと反省ですが,仕事が終わらない!
もうしばらくそんな日が続きそうです。

職員の情報交換,協力態勢,私の「仲良し」発言がkurazohさんを刺激してしまって,でも,なんだか考えていることがすれ違っているのか私がピント外れなのか,もどかしさを残したまま仕事に没頭していました。

文化祭への「総動員態勢」というkurazohさんのコメントに
総動員態勢のとれない学校があるの??といぶかしく思ったのですが,
確かに中途半端な取り組みでは,教師の方の参加態勢も中途半端で不完全燃焼を起こすのかなと思いました。
誰かに仕事が集中しすぎたり,誰かが涼しい顔をしているのでは,不満がたまって,職員間がぎくしゃくします。
悲しいかな教員は,自分で判断して,自分に求められて居るであろう役割を自覚し,自分で動くということが下手くそな人が案外多く,何かのチーフとして動くときには,細かな気配りと根回しが必要です。
そうしてでさえ,うまく動かなくて,人間関係に疲れ切る人もいます。
そんな状態の学校を見ていれば,教師に対する不信感もどんどん大きくなるのではないかと思います。
そんな学校はごく一部だけれど存在していますし,その学校に通う子どもにとっても,親にとっても,それがすべてなのですから,
それはそれで大きな問題なのだと思います。

でも,すずめは若い頃から人間には恵まれる運の良さで,そんなしんどい学校には当たったことがありませんし,私は自分の運を信じて,これからもあたらないと思っています。
若い頃は,やんちゃな生徒と職員の間に挟まって,危ない綱渡りもしました。そのときに根回しの大切さと,一人一人とのコミュニケーションの重要性をイヤと言うほど思い知らされたのです。
当たり前ですが,紙切れ1枚に書いてあるだけでは総動員態勢なんかなりませんよね。

とりあえず自分とその周りの人しか見えていないのんきすずめと,いろんな学校を見ているkurazohさんでは,見ている側面も違うのかなと思いました。

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そんな,今更やり直せません

大学の先生の話を聞きに行ったのだが
あまりにもその通りなので,思わずウンウンと聞いてしまった

しかし,じゃあ,どうするの?といわれると

う〜〜〜〜〜ん

これから生徒の授賞式なので,引率です。

帰ってきたら,ゆっくり中身も考えながら書いてみます。

その前にアイアンマン見にいきたい

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学力検査と日教組の関係??

「校長日記・・学校おやぢつぶYaKi」という校長先生のブログがあって,その記事に「学力テストは日教組を攻撃するためだ」というものがあり,思わず反応してしまった。

んなアホな・・・・と思って,試しにググってみると(正確にはYAHOOを使ったので,ヤフッてみるとかな)トップに出てきたのがこれ
izaブログってのは,産経新聞の記者さんだと思うが,その時々のニュースにちょっと(たくさん?)色をつけて,ブログにしたてているもの。当然,新聞よりもっとスタンスがはっきりしていていて,鼻につくときもあるが,けっこうおもしろい。

まぁ,どいつもこいつも,好き勝手なことをいいやがってって感じもしないでもないが,なるほど,そういう偏見で見ていたのか。

統計ってのはおもしろいもので,意味づけされる前の数値が並んでいる段階ではどっちに転ぶかわからないものも,分析者の思いによって,かなり考察が変わってくる。極論すると,分析する人によって,結果なんてどうにでもなるのである。もっといえば,逆に,分析者はある程度,結論を予測し,それに合致するように数値を選んでいく。

そんな数字のおもちゃみたいな統計でさえ「学力と日教組の組織率のあいだに相関性はみえない」と結論づけなければならないほど,この数値には関連性がなかったのだろう。
当たり前だ。何を根拠にそんな話が出てきたのかわからないが,言いがかりも甚だしいし,思いこみで物を言うのもたいがいにしてもらいたい。
こんなのが日本のリーダーだなんて,情けなすぎて泣きたくなってくる。

昔から国鉄,郵政,日教組の3労組をつぶせば,日本の組合活動は壊滅状態になると言われ,国鉄がなくなり,小泉さんは念願の郵政をつぶした。安倍さんも,最後の日教組をつぶすべく,ちょっと焦ったのかもしれない。何しろ,小泉さんは郵政つぶしを自分の最大の業績といい,
郵政は,民営化した割には当初のうたい文句とは違って,どうもあまりぱっとしない。

どうでもいいけど,もう少しまともな論点をもてる政治家を選びませんか?

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タグ:学力検査

土曜日に補習って簡単に言ってくれるけど

去年は半年足らずやってみたが,効果はないわけじゃないが,
そんなに簡単なものじゃないというのが土曜日の補習授業だ。

部活の先生は露骨に嫌な顔をするし
(自分が出るのも嫌がるし,生徒を取られるのも嫌がる)
教員だってそんなに体が空いているわけじゃない。

土曜日が休みになって,明らかに部活の大会や試合は増えた。

その間を縫って,出張や去年は私の全国教研もあって

思ったように土曜日が空いてないのだ。

私がいないときには誰かに鍵の開け閉めをお願いしなければならない。

つまり,部活の顧問の理解,学年同僚の支えがないと,
こんなこと続かないのである。

やればいいというのは誰もが考えることだが,
やってみると,なかなかに難しい。
1度や2度ならなんとかもなろうが,継続して開こうとすると,やはり無理がある。
去年は15回足らず開催したが,そのうち5回は私が不在だった。

組織的にといわれるが,それこそ土曜日のこと,
強制はできない。

今年も9月の新人戦がおわれば,そろそろ土曜日を考えなければならない。
部活の顧問とのやり取りの中で,やはり,大会前は控えてほしいといわれ10月から3月を考えた。
さて,今年はどうなるだろう


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8月6日かぁ・・・・

どんよりした8月6日だった。
やっぱり,6日はカラカラに晴れて,じりじり暑い日が似合う。
平和教育の日とするときに,この日と,8月9日,15日とどの日がふさわしいと思うか。
それぞれに重い日であることに変わりはない。
個人的には12月8日も記念の日である。


大上段に構えるつもりはないけれど,
1年に1度ぐらいちゃんと考えても罰は当たらないだろう。

少しずつ,戦争の記憶が風化していこうとしている。
戦後が終わったといわれてから生まれ,「戦争を知らない子供たち」の歌と共に育ってきたけれど,
いまでも,世界に目を向ければ,戦いが進行しているところはいくらでもある。
悲しいものだと思う。
私たちには,せめてそれがどこなのかを確認し,知ることで抵抗しよう。
そのために,私たちはもっと学ぼう。
コップ1杯のことを教えるのには,バケツ1杯の準備がいる。

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おまえはバカなんだよ

と言われたら,どう思いますか?

これだけのほうが,かえって話題は盛り上がるかもしれませんが
結論からいえば,こう言われてうれしくなるときと
「はん?あんたにお前呼ばわりされる筋合いはないんだけど」
と睨みつけたくなるときと,二通りあります。
なにが違うかというと,人間関係が違うはずです。

まったく同じセリフでも,あの人に言われた時と
この人に言われた時では感じ方がまったく違うのです。

そこには,二人の間に流れる時間の長さや,付き合い方,
お互いの感情などが複雑に絡み合います。
でも,たぶん,自分の状態の違いによるとらえ方の違いより
相手との付き合いの歴史の中で,愛を感じられるとき,人はうれしくなり,冷たさしか感じないときは憎悪を膨らませるのでしょう。

それが教師と生徒の間なら,
「ばかやろう!」とどなられて
「先生,ごめんなさい」とわんわん泣けるか
じっと涙をこらえて,後ろから刺してやろうと思うかの差になるのでしょう。

殴られたら,おそらく私は憎しみしか感じないだろうと思います。だから,私は体罰はしません。
でも,「バカやろう!」が通じる人間関係は作りたいと思います。

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「情けは人のためならず」

巡り巡ってとでもいうのかな。
映画の「ペイ・フォワード」ってのもあったっけ。
誰かのためにしたよいことが,まわりまわってそのうち自分に返ってくる。
逆にいえば,「天に唾吐く」ってこともある。
自分から出したものが自分に返ってくるのならば
やはり自分からいいものを発したい。

何年も前になるが,
リストカットを繰り返す女の子がいた。
リストカットは,本当に死ぬ気はない。
誰かに気付いて,受け止めてほしいだけだ。
話を聞いたり,泣くのにつきあったり,
時には夜中に電話をかけてくる時もあった。
重い話を聞くのは,時にぐったり疲れるけれど,
私は別に嫌いではない。
半年もしたころだったか,彼女がいつものように私の所へ来て言った。
「先生,私,もう先生の所に来るのやめる」
なぜかと聞くと,
「先生,どうしてそんなにやさしいの?」
と,どこかのソープドラマかい?って口を利く。
「私,先生に恩返しできないから」
なるほど,誰に何を言われたのか知らないが,だから人には世話になりたくないということらしい。

「あのね,今はいいの。世話になるとき,迷惑かけるとき,どれだけでもかけていい。今はそれが必要な時。
そのうちね,あなたがもうちょっと大きくなって,ひとりでなんでもできるようになったら,今度は別の,困っている人に,精一杯親切にしてあげなさい。できるようになってからでいいから。そんな機会は必ずくる。世の中はそうやって回っているのよ」


「そうなの?」と彼女は信じたのか信じていないのか,気のない返事をしていたが,とにかく,卒業まで,思い出しては甘えにきて,気が済むと帰るという生活を続けていた。
卒業して,1回だけ会ったことがある。
元気にバイトに精を出していた。

彼女があのときのことをおぼえているか,確証はないが
私は道徳ってこんなもんなんだろうなと思っている。

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行き詰った

ちょっと行き詰っています。
テストができていない。
ブロック大会で,拘束時間が長すぎる

だめだ
今日は寝よう

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やりきれない日の次の日

昨日の「闇の子供たち」が気になって,本屋へ行ってみました。
ちょっと立ち読み。
うわっ・・・・
ちょっと読んだだけで,限りなく落ち込んでいきます。
気持ち悪くなってきました。
これが・・・・世界の中でこんなことが行われている国がある。
日本人も無関係ではない。むしろ,加害者であり,中心的役割を担っている。
この事実は,漠然とわかっていたことではあっても,強烈です。

そして,その横に並んでいたのが,今度は日本の児童虐待の実態を書いた本。
そういえば,少し以前,朝日新聞に虐待を扱った連載があったっけ。
去年の全国教研で,C.W.ルイスさんが
「40年前,日本は子どもの天国だったね。こんなに子どもを大事にする国はないと思った。それがどうなっちゃったのかね」
って講演してらしたのを思い出しました。
ほんとに,日本はどうなっちゃったんだろう。
これからどこへ行くのだろう。

この今の日本は,私たちに責任があることだけは間違いありません。
マスコミをうのみにすると,日本は学力が下がり,凶悪な犯罪が増え,
子どもたちは救いようのない状態ですが,単純には論じられないものの,未成年の殺人犯検挙数は,ピーク時の1960年代450人に迫る勢いだったものが,1980年に入ってカタンと減り,70人前後で推移しているのです。少年人口(10〜19歳)十万人に対する比率も約3分の1。
事実として数字があります。(犯罪白書)
いろんな見方や,状況を鑑みても,必ずしもマスコミの言う通りではないかもしれません。
センセーショナルなほうが話題になるから,マスコミが一方的な見方をしているのだとしたら・・・・?

昨日の池田さんのお話の中で,
「私たちは私たちの程度に見合ったものしか持てないんです。マスコミだって,政治だって,これが私たちの程度なんです。いいものを見たら,よかったって言ってください。それがいいものを作る人を力づけ,周りを育てることになるのです。」みたいなことを言ってらしたっけ。

そうだね。選んだものがよければ,「よかったよ」ってみんなに言おう。
おかしいことには疑問を持とう。
いいものを見定める眼をもっと肥やそう。
もっと読み,もっと見て,もっと聞いて
関係ないけど,今日の朝のラジオで大川隆法の説教やってたっけ
あの中で,「人生最悪の瞬間は,何年かに一度必ずやってくるが,それは世間ではありがちなことで,真正面から向き合えば必ず乗り越えられる」ってあったな。

前向きに頑張れば,いつかは夜が明ける。

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タグ:虐待 教育

今日は何ともやりきれない1日でした

朝,学校で朝日新聞だったかと思うが,映画の書評が載っていた。
エグい話だなあと思いながら,
それでもなんとなく忘れられずに,頭の片隅に引っ掛かっていた。
タイトルは「闇の子供たち」
子どもの人身売買により,臓器移植,児童売春,そして使い捨てにされる命の話である。
当然というか,予想通りというか,臓器移植を受けるのは日本人の子ども。その子の体力がもつうちにということで,生きたまま臓器をえぐりだされるタイの子どもがドナーとなる。
児童買春をするのもまた日本人をはじめとする大人たち。
需要のあるところにしか商売は成り立たない。
エイズになれば,ゴミ袋に包まれて捨てられる。
まさに,闇だ。
日本の子どもたちには想像もつかないだろう,とその時は考えた。

今日は朝からむっとする暑さで,予想最高気温は35度
日本海に低気圧があるのだろう。フェーン現象特有の南風が温風ではなくもはや熱風となって砂を運んでくる。
エアコンのない職員室は,とても集中できる環境ではない。
夏休みの,しかも土曜日だというのに,朝からジャンジャン電話はかかり,やれ部活の子に連絡したいの,先生を呼び出せの・・・・
「今日は休みじゃぁぁぁぁぁ!!!!!」と叫びたい気分。

午後からはいい話がきけるから,と誘われて,エアコンのあるところなら,どこでもいいわぐらいの気持ちでついて行った。

講演者は池田香代子さんってどこかで聞いた名前だなと思っていたら
そうそう,「世界がもし100人の村だったら」ってあの本の作者だ。
ネパールの奥地の学校にどうしたら女の子が通うようになるかって話から,話はあちこち飛んで回るのだが,飛んだ先の話も聞かせる内容で,よほど話したいことがたくさんあるのだなと感心していた。

印象的だったのは,女の子に教育を受けさせると,子ども数が減って,飢餓状態が改善するというもので,まさにへ〜〜の世界。
ほっておくと親が子どもを学校によこさなくなったりするので,給食で釣ったり,母たちに食用油を配給したりと,ありとあらゆることで子どもを学校に来させようとしている。

ここでも,地雷原を歩かされる子どもや,少年兵にとられる子どもたちがいて,とても子どもの安全が確保されている状態ではない。


で,私たちに何ができるのかという話になっていく・・・・
長いので,その話はまた改めて

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新学習指導要領をサービスします

何を思ったか,文科省が日本全国に配った新指導要領の冊子
何を狙ったのか,他校種のものまでついた,分厚い冊子である。
教頭がもらいうけに行ったのだが,普段本屋の店先で見る
あの薄い冊子を想像して行ったものだからえらい目に遭った(笑)
大汗かいて持ち帰った指導要領だが,いったい何人がしっかり読むのか
中には開きもしない人がいるのだろう。

日本の検定教科書はとても優れていて
実は指導要領なんてしらなくても,それさえやっておけば
きちんと指導要領をカバーできるようになっている。
いろんなことに至れり尽くせりのところがいかにも日本らしいといえば
そうなのかもしれない。

ただし,今回はちょっと趣が違うような気がする。
教科書のボリュームが倍になるってことは
自学自習できるようにとあるが,いったいどんな内容がどれくらい増えるのか
それは発展的な内容なのだろうけど
授業の中ではどう扱えばいいのか
見ていないからわからないが,なんだか不安になってくることである。

さらに,平成14年の改訂でもいろいろ混乱したが
今回も移行措置がどうなるのか,夏休み中に管理職と教務主任が説明を聞きに行くらしい。
それまでは何も分からない。

教員も全部集めて説明するらしいから
それまでに読んでおけって言うのかな
今までも一応自分の教科ぐらいは,ちゃんとお金出して買ってたけど
いきなり全部配られたのには,ただただびっくりしてしまった。

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教員も訓練不足かも

POOHママさんから面白い話題をいただきました。

身の回りの世話もできないのにお勉強だけに関心のあるお子ちゃまたちを育ててしまっているということへのいい訳なんだそうですが,
私の持論として,子どもは周りの大人が寄ってたかって一人前にしていかなきゃいけないもんだと思うんです。誰か一人がするもんじゃない。

中学校でも,ウンウンと思うことが多いと思います。
ついでに,大人でもきっと一緒なんですよ。
子どもは大人を映す鏡です。結局のところ,もうちょっと大人が自分の居ずまいを正すことが必要なのかもしれません。

【小学校からの言い訳】
生活科ができたことにより,逆に「学校が教えてくれるから」と家庭では扱わなくなった事項がけっこうある。
1.いまは靴もマジックテープが多く,靴ひもを結べる子は10歳で半分強。

大人でもエプロンのひもを結べない人いますよね。毎年,二人三脚をすると,相手と離れることができなくなるペアがいます。はちまきひきちぎるまで相手とつながったままなのです。

2.整理整頓は,学校ではある程度できるが、家では出来ないという子が多い。応用が利かない。
これは私も含め,大人でも耳の痛い人は多いはず。でも,整理整頓は仕事の基本ですから,これができない人は評価されません。最終的には自己責任なのでしょうが,性格の問題も大きいかもしれませんね。

3.箒は魔女の乗り物としてしか知らない。チャンバラが始まる。「うちの子には、掃除当番をさせないでください」なんてモンスターペアレンツなんかもいます。
残念ですね。掃除は自分磨きの一番いい修行みたいなものなのに,それを放棄させるなんて,子どもの成長を阻害するだけだと思うんですけどね。雑巾も絞れない子が多いと聞きます。箒も雑巾も家では使いませんからね。掃除機とモップでしょ。私は雑巾好きなんですけどね。

4.一対一でないと話がきけないお子ちゃまも多いので,同じ話を何度もしなければならない。
はいはい。聞かないし,読まないですね。でも,これも大人も一緒です。読まない,聞かない,安易に人に聞いて疑わない。で,間違うと人のせいにするんです。中学校で受験の願書なんか,親に書いてもらうと間違いがひどいので,「必ず自分で書きなさい」って子どもには念押しします。ところが,その教員も,書類書かせるとひどいのがいるんです。日本語読めないの?みたいな。

【家庭からの言い訳】
1.親たちが学歴社会の真っ只中だったため,家庭科が得意な子より,お勉強が得意な方が,親からも世間からも喜ばれた。
これは個人差が大きいと思います。男の子は大事にされすぎて,何もさせられていないため,何もできない子が多く,女の子も成績に関係なく,訓練不足のためできない子が多いような気がします。論拠はありませんが。かくいう私も,昔は結婚して初めていろんなことを自分でするようになりました。(箱入り娘でしたから・・・・爆)

2.家事苦手をカバーする家電製品もグッズが登場し,「手伝い」が必要なくなった。
3.幼い頃のことは覚えていないから,身の回りのことは自然にできるようになるものだと思い込んで,訓練をさせない。
4.家事を子どもにやらせると雑で時間もかかる。大人(&機械)のほうが,親の自由時間が増える。
5.仕事を持つ親は、仕事のために子どもとの接点が時間的に減るので,コミュニケーションの機会を家事労働など生活的なことでなく,ゲームや遊びなど娯楽に求めている。


昔は,否応なしのところもあったのでしょうが,便利になるに従い,訓練は意図的に行う必要が出てきました。結局親が面倒くさいってところに落ち着いちゃうのかもしれませんけど,別の意味で手をかけないと,我慢する必要もないし,できなくても何とかなるわけですから,退化していくのは必然なんだと思います。あとは意識の問題で。
教師もそうです。40人もいたら,一人の子に個別に根気強くかかわっていくのは不可能に近いです。お箸の持ち方まで指導できるものではありません。掃除の最初は雑巾のしぼり方から行きますけどね。
で,その教員のほうも実は生活自立が不十分だったりしていると,これはもう救いようがなくなるんです。
大人全体が,もう少しいろいろ体験しなおし,子どもを意識的にていねいに育てることが必要なのでしょう。それこそ,お勉強だけじゃなくて,生活できないと,勉強だって生きないわけですから。

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子どもは誰の宝なのかな

親の管理強化の記事に,反応してくださったみなさま,ありがとうございます。

通りすがりさん(って何人いらしゃるのか,最近よくわからなくなっているのですが)のおっしゃる

> つまり、こんな人ばかりなのですね、今の親の世代。

と,親たちが学歴社会の申し子なのだということなんだろうと理解しましたが,
これで思い出したことがあります。
「学歴社会の終焉−ただいい大学を出ただけじゃダメ」と言われたころ,進学指導をする時に,ものすごい親の抵抗感にあった覚えがあります。
先生が何をきれいごとをならべても,やっぱり旧帝大は旧帝大だし,有名私立は有名私立と。
あの時,根強い学歴信仰に加えて感じたのは,「適当でいいじゃん。一生懸命なんて時代遅れ。ほどほどに楽しくが一番」という新興勢力の台頭でした。
これについては,また記事にしたいと思います。
ちょっと色合いがかわっているように思います。

無敵さんの学校なんかは都会の中学校ですから,田舎よりもっとその傾向は強いと思います。なにが苦しいって,集団として話を聞けないのが困ります。1:1のコミュニケーションなら問題ないのに,集会で何を聞いたかは覚えていないのです。これを練習するのに長い期間がかかります。

で,kurazohさんおっしゃるように,学校の対応が問われるところなんですけど,まあ,まだまだ混迷するでしょう,というか,簡単に対応できないと思います。
アメリカの事情を持ち出されているようですが,アメリカやイギリスの状況をモデルにしたがる日本の政府がなにを価値基準にそんな寝言のようなことをほざいているのか,私には正直理解できません。どっちも破たんしているからです。
ちょっと前にはやった本に



こういうのがありまして,教育困難校で見事に成果をあげた先生の話です。
私は,こういう基本的なことで,あとあとみんなからかわいがってもらえ,自分に自信を持って生きていくことのできる子を育てることが大切なのは昔も今も,これからも変わらないんじゃないかと思っています。

子どもは親の宝でもあり,社会の宝でもあります。子どもがうまく育たないと,親も泣きますが,社会は滅びます。
線引きや責任転嫁なんかしてる場合じゃないと,前の記事を書きながら改めて思っていたのですが,どうなんでしょうね。


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親の管理が強化されてる?

健診の待ち時間中にちょうどよさそうだったので,ベネッセが学校向けに出している季刊誌を持っていった。
VIEW21という雑誌である。薄いのでちょうど読み終わるはずだった。

この中で「強まる保護者の関与」というページがあり,「第3回子育て生活基本調査」をもとにデータを分析している。
この調査は,1998年,2002年の過去2回実施されており,今回と併せて計3回の調査結果を経年で見ると,保護者の教育観・子育て観が変化してきていることがよくわかる。
 驚いたのは,これだけ子どもを大事に育てる傾向が強まって,「子どもがこう言う」とか,「子どもに聞いてみなきゃ」とか言っている親が多くなっているはずなのに,子どもの意志よりも,親の判断を優先させる傾向が強まっているというのだ。 
 学力にこだわる保護者も増加している。学歴社会は終わったと言われたのはいつの話だったか,ますます高学歴を期待する割合が増えているのだ。教育費の数値は,平均としては変化がないが,教育費をかける家庭とかけない家庭の二極化が進み,すでに上と下が乖離している。
 次に「子どもが一人でできる」と保護者が感じている生活習慣の割合が減っている。子どもの生活習慣が身についていないと感じている親が多くなっているということである。

中学校は,本来,子どもがお子ちゃまから一人前の青年へ親に反抗しながら成長していく時期である。
1年生に入ってきた,小学7年生が見事に大きくなって,おっさんくさくなったり,女っぽくなったりして卒業していく。
ちょうど身長が母を抜く時がターニングポイントだそうだが,
背伸びして,危なっかしいながらも自分の意志で歩き出すのが中3のはずだった。
(そういえば,民法でも,本人の意思決定能力が認められるのが15歳。この年で正式に遺言状を書くことができるようになる)
それが,子どもの意志よりも親の決定が優先し,親の目から見て,ひとりで寝起きもできなければ,身の回りの片付けも計画的な勉強もできない状態だなんて,これってヤバいんじゃないの?と改めてゾクッと背筋が寒くなった。

学生が低年齢化しているというが,つまり生活自立ができていないということなのだろう。
これって由々しき問題なんじゃないの??

学力,学力って世の中騒いでいるけれど,もしこの学力がイメージとして狭義の「テストの点」だとしたら,
自分の身の回りの世話もろくすっぽできないクソガキお子ちゃまが,テストの点だけにこだわって,精神面での成長を待たずに卒業していってしまうってことでしょ?しかも,親も子どもを管理下に入れ,もっと点数が取れればいいって,生活水準の高い家庭ほどジャンジャンお金をつぎ込むってことだよね。
その一方で,まったくほったらかし状態の子どもがどんどん沈んで行っちゃうことになる。
そりゃ,荒れるよ。特に放置されている子どもたちには行き場も気持のやり場もなくなっちゃうから,どんどん刹那的に,頽廃的になるわな。構造的にスラム化していくしかないじゃん。
今はまだ,少しはものがあるけど,これで経済格差が進んだら,この子たちが生活にも困ってきたら,治安は乱れ,犯罪が増え,しかも罪の意識は薄れるよ。

え〜〜〜〜
ほんとにそれでいいの?

まずいよ。絶対まずいよ。お父ちゃん,お母ちゃん,自分の子供だけ何とかなればいいわなんて考えている場合じゃないよ。
日本全体が棺桶に足突っ込んでる状態なんだから。

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経費に関する学校の不自由度

前のDVDに関して,いろいろご意見をありがとうございました。
学校の中における個人負担については
まあ,教員の身勝手だと言ってしまえばそれまでなのですが,
たとえば,クラスで旗を作ろうといいますね。
遠足のときや,学年行事なんかの時に,クラスの旗があればかっこいいなって。
で,学年全部で同じ企画をやるならともかく,ばらつきがあるところにお金はでませんから,
布を買い,刷毛を買い,イベントカラー(乾くと耐水性になる水性塗料)を買い,ついでにどこからか下に敷くブルーシートをもらって,これで軽く5000円は超えます。
この中で学校から貰えるお金は0です。

って書いたときに,みなさんはどう思うか,なんですけど

え〜,そんなのおかしいでしょ。教師の個人負担?

と思う人。

何をケチくさいことを,高給取りのくせにそれくらい出しても罰はあたらんやろ。

と思う人。

あほくさ。誰が持ち出しでそんなもの作るん?たいして使うものじゃないのに。

という人。

同業者の中には,

あほ,そんなもん一つのクラスだけ作ってみされ。他のクラスの子が
「なんでうちは作らんの?」って教師批判につながるやないか。はた迷惑な。

って思う人もいると思います(実際そう思われる時もあります)

すずめに関していえば,作る年も作らない年もありますが,
何かと重宝するので,小さいバケツと色合わせ用の容器,刷毛を10本ほどは自費で揃えて持っています。
学校における私の財産でもあります。
もちろん,それを苦々しく思っている人もいます。

そういう部分では,学校って恐ろしく自由度が低いんです。

何かをしようと思ったその時点で赤字ですから
あんまり細かいことを考えると,やる気も失せちゃうので,
割り切ってやりたいことはやっちゃうってことがよくあります。

授業でも,教材でなにか作ったり,ゲームでなにかって思った時,
学校にあるものは限られていますから,やっぱり買うことになります。
まぁ,中にはパソコンでさえ,自分の持って来ないと仕事にならないところもあるので,推して知るべしでしょう。

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英検の2次試験

今日は英検の2次試験でした。
面接です。
3級(中学校卒業程度)で5分弱の面接をします。
30単語ぐらいの英文を読み,その内容や日常的なことについて,
英語で質問し,それにこたえるものです。
問題集もたくさん出ているので,たいてい学校で英語担当が練習させて送り出します。

ところが,あいさつが通じない子がいるのです。
Good afternoon.で立ちつくされたら,次が続きません。

で,質問が終わって,That's all.と言っているのに,立たない。
帰らない。the end でも,finished でも黙って座っているのです。
まずい。帰れよ。終わったんだよ。といくら心の中で叫んでも,通じるはずもなく,日本語は使ってはいけないので,終わったことを相手に理解させるにはどうすればいいか。私が試験されてしまいます。

結局 Good-by. でやっと帰ってくれたのですが,まるで追っ払ったみたいで,とっても後味が悪いんですね。
しかも,Have a nice day. と追っかけているのに,返事もしないし。
(あ,もちろん全員じゃないですからね。素晴らしい方もいっぱいいらっしゃるわけで)

さすがに何人もそんな子が続くと,自分が送り出した子が心配になってきます。
今日はちゃんと試験受けたかな。この子みたいに,帰るタイミング外して,立ち往生してないかな。午後の授業もあったから,まさか Good afteroon. で呆然とはしていないよね。

明日確かめるのが怖いです。
次に受ける人たちは,もう少し練習させよう。

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ひとを殺してはいけない

「死ね」だの「殺す」だのという言葉が日常にもたくさんあふれ
それがいじめを誘発するかどうかはおいておいて,

あの池田小で8人が殺された事件から7年たった今日
秋葉原で,また頭のおかしい奴が7人もの命を奪ったらしい。

どうして「人を殺す」ことから頭が逃れられなくなるのか。

7年前も,今日も「殺す」ために事件が起きた。
そして今日からつながる明日も
狂気にかられた人間が,また事件を起こすかもしれない。

人を殺してはいけない

あまりにも当たり前のことだが,「なぜ?」と聞かれたら答えられるだろうか?

なぜ人を殺してはならないのか,

人を説得できるだろうか?

法律で決まっているなんて,主体性のない答えしかできないか?
南極で,無人島で,宇宙で,外国人と一緒なら,
あなたは人を殺していいのか?

宗教で戒められている?
その宗教を信じない人同士なら殺していいのか?

赤ちゃんなら?年寄りなら?病気の人なら?障害のある人なら?
女なら?男なら?

殺人鬼なら?犯罪者なら?あなたが憎いと思う人なら?

親の敵なら?
あなたの一番大切なものを奪った人なら?

それでも人は人を殺してはいけないはずである。

教員もその辺の価値観をはっきりさせて,
きちんと語れるようにしておかないと,とんでもない質問にたじたじするだけになるかもしれない。

単に「殺す」なんて言葉を軽々しく使うものではないと指導するだけでは,子どもに心は育たない。


「なぜ人を殺してはいけないの?」と聞かれたときに,
あなたは何と答えますか?



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タグ:事件 殺人

ほんとにそれでいいのかな? 2

小学校と中学校の教員が一緒に話す機会があって,
最近は9年間で子どもを育てるって考え方が多くなってきている。
中学校の教員というのは,つい自分のしんどいことを小学校のせいにしたがるところがあって,
小学校でこれくらいしつけておいてほしい,なんて人の苦労もしらないで,好きなことを言う。

まあ,でも,現実問題,九九もできないんじゃお話にならないし,
漢字の書けないのも,程度がひどいので,
なかなかできない子へのフォローはどうしているのかと聞いたことがある。

私たちのころっだって,それはあった。できなければ,お残りで,泣きながら九九を覚えたり,漢字を何回も書いて,ペンダコで指が曲がったりした子もいた。

今は,お残りができないという。
「見守り隊」という近所のじいちゃんたちが要所要所に立ってくれているので,決まった時間の間に帰さなければならないらしい。
20分も遅れると,そろそろ電話が鳴り始め,
「早く帰してくれないと困ります」との苦情が保護者から入ってくる。
なるほど,だから入学して夏休みごろまで,
「まだ帰らないんですけど」って電話が多いんだ。
部活で6時まで活動すれば,子どもがそれからまっすぐ家に急ぐはずなどなく,それがまた楽しい時間でもあるのだが,
親にしてみれば,そりゃあ心配なのだろう。

とにかく,小学校の悩みとしては
すぐに帰さないと,保護者が心配するのだが,宿題にしてもやってこないので,なかなか定着のためのドリル学習を徹底できない。ということらしい。

経験則だが,この小学校の低学年の時期に,ある程度面倒くさいことをきちんとやらせる必要があると思っている。
この時期に甘やかしてしまうと,あとあと,子どもがかわいそうである。
その時は目先の楽しさに,元気に過ごすが,
一度ぐうたらになった脳みそは,そんなに簡単にはピリッとしない。
中学校になって,面倒くさい作業をしようと思っても,
強い意志の力で向かわないと,集中力なんて続かなくなってしまっているのだ。

結局,子どもがつらい目にあって,
親はイライラと子どもに当たることになるわけで,
親子の精神衛生上の問題から,子どもを塾に避難させることになる。
自己管理のできなくなった子どもたちが(なぜか男の子が圧倒的に多い・・・・やっぱり環境ホルモンか何かの影響で,男の子が壊れてきているのかもしれないと真剣に思う)塾で時間を管理してもらって,
勉強に取り組むのである。

あんなにちっちゃいころはかわいがって,なんでも言うことを聞いてくれた母親が,子どもの敵になってしまい
子どもを塾にやって,目の前から消し去ることで,しばらくの間,テレビを見ながら,子どものストレスから解放されるのである。(この場合,どっちが解放かという問題はあるが)

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ほんとにそれでいいのかな??

新学習指導要領が発表になって,
伝達講習やら,移行措置やら,ややこしい話が次々更新され
頭を混乱させてくれています。

で,今の学習指導要領が平成14年に完全実施されたわけですから,
その時に小学校1年生に上がった子どもがいま,中学校にいるわけです。

その前の改訂のときに小学校に生活科が入り,理科と社会が低学年で一つになりました。
その子たちが上がってきたときにも,社会と理科の基礎がなんとかといわれたのですが,今ほど大騒ぎにはなりませんでしたよね。
授業時数はまだ1050時間の頃でした。
このころから絶対評価と観点別評価が入り,昔からの評価システムには激震が走りました。
ひっくりかえされて,ようやく定着しているかにみえる,絶対評価ですが,所詮人間のすることです。完全な絶対評価なんてありえません。
これについてはまた別の機会にします。

平成14年度の改訂で,授業時数が980時間になったのですが,
その代りと言ってはなんですが,授業時数確保が厳しく言われるようになりました。
昔は各学年1組の時間割を数えて,実施時間数を報告していました。去年から,全部のクラスの全部の時間数を報告し,規定時間に満たないと,報告書をかかされるようになりました。

実は1050時間のころ,今ほどうるさく授業時間確保は言われなかったのです。
ですから,大きな声では言えませんが,年度末に欠時を計算し,実施時間数を数えると,3年生で990〜1010ぐらいの間を行ったり来たりしていたのです。1,2年生だと1010〜1030時間ぐらいでしょうか。(入試の後,3年生の授業がなくなってしまうので)
つまり,実は,平成14年の段階で,人が言うほど授業時数は減ってない・・・・・。

ってことは,これをうるさく1015時間に増やしても,あんまり顕著な差は期待できないんじゃないかってことになります。

じゃ,なにが違うんだ?ってことになりますが,
生活科なんてものが入る理由になった一つに,子どもたちの体験不足があります。
生活科なんて程度では追いつかなかったようで,中学校になっても,
信じられない話でしょうが,
ひとりでバスに乗ったことがないから,フィールドワークや,部活で,学校以外の場所を集合場所に指定して,そこまでバスで行かなければいけなかったりすると,生徒が休んだり,親が文句を言って来ることもあります。
「学校から離れた場所に集合させる時は,学校でバスをチャーターしてください。親が送っていけない場所に集合させるなら,それくらいの配慮は必要でしょう」

「お母さんが送れないって言うので,お休みします」



やらされている子はすごく勉強しますが,一般的な子はまったく勉強しませんから,(学校から離した時点で,学校のことはすべて忘れます)単語のテストだよと言って,不合格者に全く同じテストを何度も受けさせても,合格しない(点数が下がっていくことすらあります)のです。

中3になって,日本の都道府県を覚えていない。
小学校中学年程度の漢字が書けない。

そんな子,珍しくありません。

これって,授業時数だけの問題とは思えません。
生活習慣の問題です。
集中力が続かない。家庭できちんと学習ができない。
体験が少ないので,経験則がない。
本を読まないので,雑学的知識がない。
当然,周りに関心が持てず,外の活動にも参加しないので,ますます異年齢の人とのつながりがなくなり,ますます興味がなくなるので,またゲームやマンガや,目の前のものだけに娯楽を求め,ますますものを考えなくなってしまうので,また周囲に興味を持つきっかけができなくなる。
知識も,コミュニケーションも育つわけがなく,
普通に育っていても,ひきこもり予備軍みたいな子どもが増える。
情緒的に育っていない彼らは,自分のことしか考えられないし,表現できないので,相手を貶めることで優位感を保ったり,コミュニケーションをとったりするわけで,そんな摩擦がいじめと取られたり,ケンカしても謝れなかったりして,希薄な人間関係があちこちで寸断されていくのです。

もちろん,すべての子どもに当てはまるわけではないのですが,
すずめの学校を見ていてそう思いました。

さて,授業時数を増やせば,学力は上がるのでしょうかね。
根本に手をつけないままで,(って育ちの部分なんて,手のつけようがないのですが)成果が出るとは思えないのですが。

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ありがとうございました

教員に競争は必要か

kurazohさんはなにか思うところがあって,沈静化されたようですが
最後に書かれたコメントの言葉に,おっしゃりたかったことが出ているように思います。

競争が悪い。
教師に問題はない。
競争が教師を悪くする。
競争を目的とした教師が出てくる。
果たしてそうでしょうか。
私の考えは、
競争で教師の問題が浮き彫りになり、何をどう変えなければいけないかが明確になる、というものです。
競争を目的とした教師が出てくるとしたら、それも教師の問題なのです。
教師のモラルがそれだけ低いことを知っているから、「競争を目的とした教師が出てくる」などという発言になるのです。


これまでにイヤというほど感じた(?)教師のよくない面が
kurazohさんの考え方の根本に根強い不信感になっているように思います。
反対するつもりはありません。人間は弱いものです。
朱に交われば,あっという間に赤くなります。

競争に負けたと感じた時に,反撃に出る人もあるでしょう。それは必ずしもフェアな手段ではないかもしれない。
相手がはっきりしていない時には,生徒に出るかもしれません。
そうじゃなくても殺伐としがちな学校現場に,あえてそれを持ち込むメリットとデメリットを計算したときに,メリットが大きいとは私には思えません。

しかも,純粋に研鑽をつみ,切磋琢磨する競争ならまだいいです。
現実問題,導入される競争は,同じパイの食い合いです。
誰が一番大きなパイを取るか。
お互いに高みを目指すのではなく,結果的には相手のパイを食うことで自分が最後に残る。
そんなしのぎの削り方を,望んでしたいとは思いません。

さらに,パイの食い合いの相手は同じ学校のスタッフになります。
本来一緒に生徒を育てていかなければならない夫婦のような関係のスタッフのパイを食うことで自分の持ち分を増やすなんて矛盾しています。

授業の上手な教師は,もっと生徒に学力をつけるにはと試行錯誤したり,教育書を読んだりして研究しています。
駆け出しさんは人の授業を見に行き,なんとか授業力を向上させようと頑張っています。
部活が得意な人は,全国大会を目指し,生徒はよく頑張ることを覚えています。
生徒指導を第1に考える人は,積極的な生徒指導とかで,後手に回らない指導のために奔走しています。
なんでこんなに一生懸命になるんだろう?給料も変わらないのにって本気で思ってしまうほどです。
ある意味,これは競争でもありますね。部活で1番を狙うのも,授業で1番を狙うのも。私自身も,自分の教科で,市の1番を狙うという無謀なことを考えたことがあります。

とはいえ,私が学校現場に「競争」を簡単に導入したくない理由は,スタッフの内輪で食い合いをしたくないし,そんなことをしなくても,気の毒なくらい力を出してくれているスタッフの姿を毎日みているからで,とんでもない学校に行ったら,
「少しは競争原理でもいれたら,ちょっとはピリッとするんじゃないの?」と言い出すかもしれません。

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ありがとうございました

出発点と方向が違うのではないでしょうか

週末には,いろいろコメントをいただきまして,ありがとうございました。
どれも簡単に返すにはあまりある内容とボリュームですので,少しずつ記事にしてお返しするということでお許しください。

ただ,感じるのは,それぞれの方の視点には,現在その方が置かれている周囲の状況に対する思いがあるので,
その背景を理解することなしに,話はかみ合わない部分があると思います。
kurazohさんが
子どもの心が白紙から始まるのではなく、すでに環境等に応じたある程度のプログラムが組み込まれているのに、そこに適切な刺激を与えることができないでいることが原因なのかもしれません

とご自分でおっしゃっているように,大人の心の中にも,経験と,現在の状況に応じたプログラムがあるのでしょう。
お互いの状況がわかりませんから,出発点の違う論理がすれ違うだけになるのではないかと思います。
たぶん,どちらもが正しいし,どちらも不完全です。
完璧な理論なんてないでしょう。人の心に関するものですから,状況によって変わるし,しかも刻々と変化します。
おそらく,職場の現実を見れば,あ〜なるほどとなる部分もあるのではないかと思います。(不可能ですが・・・・)

私自身は「己を忘れ,他の利を求む」という言葉に,何か違うと感じるのですが,どう違うかということについて,表現する言葉を持ちません。みんなのために,または誰かのために,何かをすることは,何も自分を忘れたり,まして犠牲になんかしていないからです。
たとえば,すごく極端な例ですが,母親が子どもの世話をしたり,子どもが小さくて,自分の時間が持てなかったりすることを,いちいち「犠牲」なんて思っていたら,とても成人するまで面倒は見られません。
子どもがいとおしいと思えば,それが楽しみになるからでしょう。

集団に対する寄与でも,それが良かれとおもう価値観が,他のメンバーとうまく重なって,そこに協働の喜びがあると思うのです。よく話して,納得して,自分のできることをするわけですから,そこに我を忘れるとか,犠牲にするってことはありません。もちろん,意見をひっこめたり,ちょっと我慢したりということなしには成り立ちませんが,それも「犠牲」だと考えたり,見返りを求める人には,協働は望めません。

「競争」のとらえ方についても,たぶん,ずれがあると思いますが,今日はこの辺で,何が言いたいのかよくわからなくなりました。

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タグ:NIE

また1週間が始まります

まあ,みなさん,コメント長い長い。
少しまた考えたいと思います。

今週はテストがあって,私はNIEの実践発表に行かなくてはなりません。
このNIEってのがまたよくわからないのです。
去年で終わったはずだったのですが,今年も継続してほしいと。

このNIEなんですけど,どうも簡単に考える人が多くて,
ところがやっぱり継続しないんです。
今まで新聞読む機会のなかった中学生に,いきなり新聞をドンと渡したって,読むわけがない。
ネタを作ってしかけてやるには,教師側がもっと新聞を読まなきゃいけないのです。
はい,NIEで一番新聞を読まなきゃいけないのは教師。
ネタを作って解いてみるのも教師の仕事。
楽しいけれど,くそ忙しいNIEなんです。

さて,ではまた1週間がんばりましょう

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ありがとうございました

理想の集団

どうも,先般の記事がkurazohさんを刺激してしまったらしく,
kurazohさんのブログの記事と,ここに書いてあるコメントが一緒です(笑)
ずいぶん力説してくださるのですが,
なんか私の言いたいこととは違っているようで,
すずめの経験論という,あやふやなものに頼っているせいかなと思っているのですが,
すずめが理想とし,こんな風に自分たちもありたいし,生徒にも経験してほしいと思っている集団の姿を説明すれば,ちょっとは理解して(あるいは呆れて)もらえるかなと思います。

すずめはこれまでに何度か,こんな学年が最高と思った学年スタッフに恵まれました。
当然,中には不適格?とうわさされる教員も,変わり者と呼ばれる教員も抱えての学年スタッフです。(8〜15名)
けれど,うまく歯車が回ったときは,その不適格とうわさされた教員も働きます。ちゃんと役に立ちます。変わり者さんの性格も,みんなが受け入れて,それにあったように動きます。
学年が終わったときに,全員が,この学年でよかったとおいしいお酒を飲めます。

そんなときは,生徒にも教師の様子が伝わりますので,
「先生たちって仲いいね」といわれますし,生徒たちも落ち着きます。
これは何故かなといいますと,お互いのいいところをうまく引き出せて,みんなが学年を良くしようという求心力にむかって,それぞれの力を自分の意志で発揮できたからなのです。

細かく見ると,みんなてんでんばらばらです。
好きなことをしているように見えます。隣のクラスと違っていたって,誰も気にしません。横並びじゃなくても,気持は一緒だということが自分たちも生徒も分かっているからです。
自分にできることでカバーしあいますから,お互い様ということができます。受けた恩は次に回す。そうやって誰かがみんなのために,みんなは一人のために働くのです。

人間は,周囲に左右される生き物です。周囲が受け入れてくれればそれにこたえようとしますし,報われなければ,背中を向けます。
本当は,一人一人のいいところを引き出して,なんていうことこそ
管理職にやってもらいたいところですが,
個人の能力だけを見たり,ましてそれで誰かを蔑んだり,ただただ競争をあおるか,または横並び一直線を要求したりしていては,質の高い集団にはならないと思っています。

できれば,その真似事でもいいから,
お互いにちょっとずつ譲り合って,ちょっとずつガマンして,
それでみんなが思いっきり楽しく過ごせる集団を生徒にも体験させてやりたいと,あの手この手を考えるすずめなのでした。

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ついでに 掃除の効用

すずめの終礼は長くて,毎日道徳みたいだと笑われています。
終礼が説教タイムになるからなんですけど,
子どもたちには伝えたいことがたくさんあって,
その場その場で伝えるためには,週1回の道徳なんて待っていられませんし,道徳のときには,道徳じゃなかったり,ちょっといい話を読ませたりしています。

で,掃除なんですが,
数年前から,いろんな本を読んでいると,掃除をする人が成功するみたいなことがよく書いてあります。
それも,トイレ掃除が効くらしい。
そういえば,昔から,トイレ掃除を一生けん命すると,きれいな子が生まれるなんてことを言ったりしました。
なんで掃除が効くんだろう??

武道なんかの修行をするときでも,お師匠さんが,新参者にひたすら掃除をさせるなんて話はよく聞くことです。

掃除になにか秘密がないと,ここまで掃除が取り上げられることはないでしょう。

イエローハットの社長に始まって,全国で「掃除に学ぶ会」が組織され,いたるところでトイレ掃除をしています。
裸足に素手でやるところが,すずめなんかはきれい汚いの問題より先に,冬は勘弁してほしいなんて,修養以前の問題なのですが,
とにかく,掃除が効くらしいのです。

家では「埃じゃ死なない!」って掃除をしないすずめなのですが,
そういえば,トイレだけは,トイレの臭いがするのが許せなくて
しょっちゅう掃除をします。
で,掃除をしながら考えていたのですが,
気がつくと,何も考えずに掃除してるんですね。
余計なことも,心配なことも,何も考えずに擦って,水を流して,
ああ,さっぱりした。って。
そっか,掃除って,やってるときは自分とだけ向き合って
何も考えない「無」の境地を作ることができるんだと思ったわけです。

自問清掃って取り組みもありまして,黙々と掃除をする中で
人間を磨き,お互いの思いやりを築くってことを目的としてやっていますが,
すずめも少し,自分磨きとしての掃除を生徒に呼びかけようかなと
これまでと少し観点を変えて,「さぼるな!!」じゃなくて
「掃除の時間に自分を磨こう」と呼びかける話の仕方を考えているところです。今週は掃除の場所替えの週だし,
チャンスです。
うまくいくといいな。
(と,生徒が粛々と掃除に取り組む姿を想像するすずめ)ありえん!!

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学級経営の目的 2

文章って難しいなぁとつくづく感じますが,昨日書いた記事が刺激してしまったようで,長いコメントをいただきました。
kurazohさんはいつも理路整然と話を進められるかたで,出たとこ勝負でアバウトなすずめでは太刀打ちできないのですが,
ちょっと,ん〜〜〜 なところがありましたので,補足いたします。

班ごとに割り当てられている仕事を確実に実行できるからその生徒は信頼できる、というときの信頼は、おそらく教師が子どもにもたせようとしている理想的な「自治」機能によるものではなく、さぼった人間が放置される、さぼっても許されるということがないようにする、つまり排除機能をしっかり持たせ、安心社会を維持できる成員に対する信頼と言えそうです

子どもは子どもですから,悪気はなくてもさぼりますし,欠席のときもあります。悪意を持ってさぼった生徒への制裁は,これは生徒にさせてはいけませんし,さぼりを許せば,あこぎな奴の温床になります。教師の制裁とともに,生徒の間ではモメさせなければいけません。

けれど,広く広がる問題は,誰かが休んだときや,
用事があるとき,手に余るとき,体調が悪い時など,
いろんな突発事項に対して,カバーしたり,手伝ったり,気を利かせたりといったことが,どんどんできなくなってきていることです。
グループがうまく機能し,お互いがカバーしあうことができるようにするには,声の掛け合い,気配り,感謝,思いやりといったものが必要になります。
うまくいったグループに存在した人間は,次のグループでその経験を生かし,居心地のいいグループを作ろうとします。
(もちろん,そう指導していくことが前提ですが)
居心地のいいグループには,仲間はずれはできませんし,お互いを認めあうことができます。
いま,子どもたちにその経験をさせておくことが,将来のスタッフワークの資質を作ることになると思っています。

ですから,子どもたちには,自分が休んだ時に人がしてくれる親切に気づかせることと,
次に自分ができることで恩返しをしていく善意の連鎖を作らなくてはいけません。

教育理論ということから考えると,宗教のようですが,
まあ,「すずめ教」とでもしておきましょう。

それから,仕事の質,クォリティの問題ですが,
仕事がうまくできていることで褒められれば,自信ができます。
自信と愛情のある仕事でしか,質の向上は望めないとすずめは感じているので,まずは「ここは僕に任せて!」という自信と自負というか,誇りを持たせたいと考えます。
誇りを持って仕事をする人間は,もっとよい仕事をしようとしますし,
贅沢をいうならば,職人の気概にまで高められたら,生徒ももっと素敵に輝けると信じています。

すべては子どもにかえるってそういうことじゃないかとすずめは思っているのです。
どこまでいっても宗教かもしれません(笑)
同僚は「すずめマジック」と呼んでいるようです。

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学級経営の目的

学級経営にはいろんなやり方があると思うが,
すずめは基本的にお仕事を班に振り分ける

班については以前の記事をどうぞ

で,まあ,予想されていることなのだが,うまく回らない。
仕事を細かく分担するのは,勝手にすればいいが
誰かが休んだり,忘れたりしたときのフォローが全くできない。
「オレじゃないし」が始まって
結局担任に怒鳴られて,しぶしぶ動くことになる。

これまでのクラスなら,3年生にもなって,5月になってもまだ仕事が滞ることはなかった。
よほど家でもどこでも,仕事というものを任されていないらしい。
自分の責任で何かをしなければならない状況がどこかにあれば,
ここまで無責任になすりあいの状況にはならないはずだ。

思い切って説教タイム

なんのために班に仕事を振り分けているか
それは,みんなに責任と自信を持ってほしいからである。
目標は「担任をお払い箱にすること」
担任がいなくて,注意してくれる人がいなくても,クラスがきちんと動いていくってことは,そこにしっかり自治と自律ができていることで,
それができるようになれば,自然と信頼も生まれてくる。
学校を卒業すれば,それができているかどうかがみんなのクレジットになるので,信頼される社会人となるための訓練をしているのだと思ってほしい。

お,なぜか,結構素直に聞いている。
あっち向いて寝てる人もいない。
これはうまくいったかな?

次の日,なんと,いつもは始業ギリギリの集配が8時に教室に届いている。
授業の黒板が次の時間前にきれいになっている。
終礼が終わるころになっても書き終わらない伝達黒板が,終礼の時間前に仕上がっているではないか。

「やればできるじゃん!」

次は掃除の説教をしてみよう。

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タグ:班活動

20万の持つ意味

前回書いた20万円の持つ意味だが
生徒にとって,20万というのはやはり大きな金額なので,
一度聞くと,その数字自体が記憶の中になんとなく残ってしまう。

税金について考えたあと,今度は自分が働くことを考えます。
「いくらぐらい稼げたらいいかな」と聞くと,さっきの20万が頭のかたすみに残っていますから
子どもたちはなんとなく「20万ほど稼ぎたい」ってなるわけで
これがそこそこいけてる数字なので,
そのまま使わせてもらいます。
所得税の計算やなんか,やりだすときりがないので,それはまた別の機会にしてもらいます

月20万って,時給にするといくらなんでしょう・
だいたい,時給の170倍が月収になるらしいので,子どもたちに計算させてみます。
1300円ぐらいになりますね。
こんな高い時給のアルバイトなんて,ありません。
アブナイ職業か,時間帯が真夜中ならあるかもしれませんが。
このときには,あらかじめコンビニなどから求人情報とかを取ってきて,みんなで見たりすると,もっともりあがったりします。

この時点で,子どもたちは,なんとなくですが
パートタイムやフリーターでは,月20万は稼げないと気がつきます。
つまり,きちんとお勤めしないと,ほしいものも買えない生活しかないと気がつくのです。

社会の授業みたいですけど,なかなか楽しいでしょ?
このあと,授業は,時給と年収について調べたことから考えたり,
何気なく使っているお金の使い道について考えたりします。
生徒たちに何が残っているかっていうと,何も残っていないかもしれませんが,こんなもの,繰り返しなので,気長に洗脳していくわけです。

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1か月20万使ってもらってるとしたら

昨日から税金の話になっているわけだけど

すずめの取り組むキャリア教育のプログラムの中に
租税教育の一番最初の部分があります。
話題の和田中,藤原校長の始めた「よのなか科」から持ってきた授業なんですけど
中学校の生徒一人当たりに,税金がいくら使われているか
国も自治体も全部ひっくるめて,平均,一か月に86,000円余りの税金が使われています。
もちろん,その半分以上は人件費なんですけど
そこまでは説明はしません。

でも,税金って取られるばっかりで,そのあとは国会で1日議会をしたら300万とか,道路の財源にいくらとか,
そんな話しか聞こえてきませんから
自分と関係のないところで使われていると思ってしまうんですね。

だから,実際に,生徒一人に86,000円税金が使われていると聞くと,
ちょっとびっくりしてしまいます。
これに住居費,生活費,教育費,こづかいなどを加えて,統計を取ると,
中学生一人当たり,ざっと一月20万円の費用がかかっていることになります。
多くないですか?子どもたちはたいていびっくりします。

「一生懸命勉強してても20万,授業中寝てても20万,親と地方と国は,黙ってあんたたちに同じ金額を払ってくれてるんだよ」というと,ほぼすべての子どもたちが
「それは多すぎる」と答え,自分はもっと勉強すべきだと一瞬感じるようです。
(次の日から変わる奴なんていませんが)

最後は
「あんたたちにはそれだけの価値があるってみんなが認めてるの。あんたたちは社会の財産だから。だから大きくなって,働けるようになったら,今度は税金を払って,それまでの恩返しをし,次の世代を育てるんだよ」となるわけです。ここの時点で書かせた振り返りには
ほとんどの生徒が
「将来はきちんと税金を払える大人になりたい」
って書くんですね。素直でかわいいでしょ。中学生。
私自身,この授業をやって,税金に対する考え方が少し変わりました。
同時に,自分の払った税金です。もう少し納得いくように使ってほしいと強く願うようになりました。

いま,国は借金まみれで,それをいうと,また公務員の給料が・・・・といわれますが,
3月になって,使いきれなかった予算を無理やり消化するために,
あちこちで道路が掘り起こされ,備品が購入され,公務員が無駄な出張に行っていることについてはさほど言われていません。
3月に予算の返納を可能にするだけで
国の借金なんて目に見えて減るんじゃないかとすずめは本気で思うのですが,
役人は「それは無理」と一蹴します。
あまり金がある一方で,予算が足りていないところもたくさん。
なんか,使い方がうまくないんですよね。

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夜スペの枠拡大−やっぱりな

<夜スペ>成績問わず3年生希望者全員に 杉並・和田中

って記事が出てたわけなんですけど,ま,やっぱりなって思ったわけで,2月に話を聞く機会があって,そこで聞いた話では,

「希望者の成績の程度がわからないから,塾の方でどの程度なのかテストしてもらっただけで,それで受け入れを決めたわけじゃない。」
という話だったので,遅かれ早かれ,もっと増えてくるだろうなとは思っていました。
最初はおっかなびっくりで,二の足を踏んだ人たちも,落ち着いてみてみると,やっぱり自分もって思うのは当然でしょう。
その人たちが区切りのいい4月から「まぜて」というのは,自然といえば自然なんじゃないかと思うわけです。
でも,今度の希望者の中には,親の希望で入ってくる子も少なからずいると思うので,ついていけなくなる子も出てくるだろうし
その子たちを今度はトライが受け止めるという
まあ,なんとも塾にとってはおいしい話。
しかも,ちゃんと塾のレベル分けもされているわけで,
うまいことやってるなあと思います。

だいたい,上位クラスの子どものほうが,親も貪欲,子も積極的で
ほっといても塾や家庭教師につくわけで,
どっちかっていえば,ほっといたら何もしない下位クラスのほうがどうしても気になるんですね。学校としては。
しかも学力保証だの,基礎基本の充実だのってことがここまで声高に叫ばれちゃ,どっちが先って,やっぱり底上げしなきゃいけないわけで,
申し訳ないけど,上位クラスは後回し。
あんたたち自分でなんとかしてちょーだいって言うことになるのです。
すずめだってまだ,上位クラスにまでは遠く意識が及ばないし
ほっといたら地を這う人たちを,どうやって立ちあがって歩かせるかが先決問題なわけです。
そういう意味では,「いいなぁ,和田中」って
たぶん,前年度,下位層の子どもたちをボランティアで見てくれた母親たちも同じように考えていると思います。
「人の子の面倒もいいけど,うちの子の面倒も,進学塾ぐらいが見てくれるといいんだけど」って。

親の気持ちもわかるのですが
部活との兼ね合いもあるし,夜の時間帯を使うってことは,
誰かが教室と学校のカギの管理をしなきゃいけないんですね。
今も,体育館とグランドは開放で使ってもらっていますが
流石にいろんな生徒の私物も置いてある教室の開放ってなると
職員がいないわけにいかないだろうし,それを誰がするの?ってことになると,うぅぅ・・・・となっちゃうわけです。

ま,そんなわけで,追随にはまだ問題があるのですけど,
下位層の生徒の補習は何とかしたいところです。

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今年は誰も何も言わないの?

来週の火曜日,22日には全国学力テストが行われます。
去年はあんなにギャーギャー騒がれていたのに,
今年は静か。新聞も,誰も何もいいません。

日本人ってば,ほんとになんというか・・・・
マスコミが騒ぐと,みな一斉に大騒ぎするくせに
ちょっと時間がたつと,みんなストンと一斉に忘れちゃう。
問題は何も解決していないし,
2年目ってことで,データは蓄積されて,ますます比べられるのに
なんで誰もなんにも言わないの?

生徒たちってば健気なもんで
来週は学力テストだよって言うと,神妙に聞いています。
全員で白紙で出すぐらいの元気があれば
それはそれで面白かったりするのですが,
ちょっぴり順番を気にしながら一生懸命がんばるのです。

別の意識調査で,
勉強するのは,将来の生活に役立てるため,(意識だけですから,実際に勉強しているわけではありません)
英語だと,世界の人と話をして,わかりあうためって
まぁ,どこの教科書に書いてあったの?ってぐらい素直なお答。
勉強=高校入試のためなんて4分の1もいませんでした。

本当にそう思っているのか,教師受けを良くするためなのか
その辺の真意はわからないけれど,
指導主事はころっとだまされて,
「素晴らしい」って感心してたっけ。

学力テストって,ほんとのところはどれくらい,何の役に立っているのでしょう?11月までもかかって,悉皆テストして
分析に一喜一憂するだけでは意味がなさすぎるし,
ましてやランキング戦では,悲しすぎます。
「学力」という言葉の定義は,一時,方向を変えようとしましたが,
今は再び,暗記中心のテストの点数のイメージを強くしています。

でも,暗記中心のテストの点を取る勉強では
PISA型の成績なんか伸びようがないことを
知らない教師はいません。
そして,学力テストのB問題はPISA型の問題を使っています。
つまり,世間の学力のイメージと,実際のテストの間にはねじれが存在するのです。

なんかなぁ
もうちょっと継続した議論ってしてもいいのじゃないでしょうか?
あまりにも静かすぎます。

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PTAのなくなる時代

杉並区立和田中がPTAを廃止 地域全体で支える仕組みに

 進学塾講師による有料受験対策「夜スペ」を実施している東京都杉並区立和田中(藤原和博校長)が来年度、PTAを廃止することが分かった。保護者は、地域住民らボランティアで構成している「地域本部」に参加し、「地域全体で生徒を支える仕組みにしたい」(藤原校長)という。公立学校のPTA廃止は全国でも例がなく、新たな論議が起きそうだ。

 同中は、リクルート出身の藤原校長が就任した03年に地域本部を設置した。会社を退職した地域住民や主婦、大学生らが学校の支援活動をしている。これまでに、▽放課後に図書室を利用できるようにする自主管理制度▽土曜日に生徒が教室で自習する「土曜寺子屋(ドテラ)」のサポート▽週3〜4回、塾講師が有料で受験対策をする「夜スペシャル」の運営−−などを手がけている。

 一方、PTAは、保護者を中心に、▽登下校する生徒の安全確保のための見守り▽運動会など行事の手伝い▽保護者の問題意識向上のための研修−−などを実施してきた。PTA活動に参加する保護者が減っているため、その啓発に苦労しているという。

 藤原校長は「能力があり、学校支援への意欲を持っている保護者はいるが、マンネリ化『PTA』を敬遠する人は多い。地域本部に統合することで、多様な人材を受け入れたい」と話す。PTAの活動で必要なものは地域本部で行う。また、PTA活動は無償だが、地域本部は交通費など謝礼を出すことも検討しているという。

 同中は5月にもPTA総会に諮り、廃止を正式決定する。全国の公立小中学校が加盟している日本PTA全国協議会(赤田英博会長)からも脱退する。

 文部科学省は来年度から4年をかけ、和田中をモデルに広がっている地域本部を全国の中学校に作る方針で、PTA廃止が他校に影響を与える可能性がある。同省社会教育課は「地域本部と保護者が互いに連携を取り、学校支援活動が活発になればいいのではないか」と話している。


というニュースを見つけた。
わからないでもない。地域本部の活動をどこかに位置付けようとすると,PTAの活動とかぶる部分がとても多い。
PTAと合体してしまえば,ほぼ恒常的に活動していけるのではないかと考えたが,今年はPTAにけられた。
今後,影響があるのかないのかわからないが,
マンネリ化し,形骸化している活動なら,変化の意味もあると思うし,
いろいろな形が出てくればいいのではないかと考える。

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ゆとりを悪者にして片づけてないか?

すずめの学校も,例にもれず学力(と定義づけてはいけないかもしれない)の2極化が激しい。
それも,学習障害や知的障害の疑われる子どもの成績が悪いのではなくて,どこからみても,できないはずのないことができていない。
分数の計算につまづき,小数点がうまく打てない生徒がごろごろとは言わないまでも,ぼちぼちいる。
漢字を書かせれば,小学校の漢字が書けないし
英単語なんて,20個もおぼえていれば上等って子どもたちだ。
京都までの修学旅行の行程で,福井県の次に行くのはどこ?と聞いたら
「富山県」って答えが返ってきた。

それでも,先日,同じ中学校の教師に
「これはやっぱりゆとり教育のせいですかね」と聞かれて
大きく「いいえ,違います」と答えてしまった。

小学校の先生の話を聞くと,
いろいろ苦労していることがよくわかる。
数学の計算問題や漢字の書き取りなど
絶対的に時間をかけないと身につかないものがある。
宿題にしてやってこないのであれば,学校に残ってさせるというのが今までのやり方だったと思う。
ところが,その「おのこり」が最近できなくなった。
かたまって帰っていくので,そこに一緒に帰れないと
「まだ帰ってこないのですか?」と親から電話がかかってくる。
パトロールに立ってくれている地域のオジサンたちだって,
一時に帰ってくれないと,いつまでも立ち続けることはできない。

ゆとり教育によって3割削減された教科内容。
それすら教え込めていないところが原因だと思う
じゃあ,今回の改訂で,教育内容を増やして
それで問題が解決するのか。
減らした内容でさえ教え込めないのに,どうやって消化するつもりなのか,子どもの現状をみていない改訂なんじゃないかとちょっと心配になる。

何かのせいにすることは簡単である
しかし,原因が明らかになったところで
状況が改善されるとは限らない

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真白じゃないですか

今日はまずかったと思います。
最初,ふつうに並んでいた搭乗口が
だんだんずれていくのです。
最終は,搭乗口の番号が3ケタになり,バスで案内されました。
それでもずっと,「目的地の天候により,引き返すこともかんがえられます」と放送は繰り返していました。

こっちについたとき
窓の外が真っ白でびっくりしました。
まさかこんなに降っていたなんて
それでも降りるパイロットは偉いよなあ
ってか,おろす管制官がたいへんなんかなあ。


あ〜あ,疲れたなあ

今日はこれだけにしておこう

なんか,大変なことになってきたんで,
わくわくするような,ブルーなような・・・・

そやね,書かんなんことは
社会教育と学校教育の接点をどこに見つけるかってことと
夜スペは,あ〜やっぱりマスコミの情報操作ってとこかな
(情報操作は大げさか)

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親の年収と子どもの学力の関係

以前の記事に,にゃんこのおめめさんからこんなコメントをいただきまして,今日はそれについて考えたいと思います。

> 大張り切りの教員生活をされているご様子、結構に存じます。・・・・4日に日教組が発表したアンケート結果には、・・・・このアンケートが示している「経済格差が学力格差」に影響しているという基礎データをお持ちでしたら、・・・・私のブログに投稿して頂いても結構です。よろしくお願い致します。
Posted by にゃんこのおめめ at 2008年02月07日 16:32


たぶん,この元になっているのが

経済力が学力に影響、83% 日教組の教員アンケート

 教員の83%が家庭の経済力の差が子どもの学力に影響していると感じていることが4日、日教組が全国の小中高校と特別支援学校の学級担任を対象に実施したアンケートで分かった。
 給食費や教材費、修学旅行の積み立て費などの学校納入金も、51%の教員が保護者への負担を考え「意識して極力削減している」と回答した。
 日教組は「教育現場に格差が広がっている実態を多くの人に知ってほしい」と調査目的を説明、記述式調査の結果なども併せ分析を進めている。
 全国77の単組を通じて実施、計3913人から有効回答を得た。
 調査結果によると、保護者の収入の高低が子どもの学力に影響を与えていると感じている教員の割合は小学校81%、中学校84%、高校87%、特別支援学校75%だった。
 「受け持ちの子どもの中で納入金の未納がある」と答えたのは半数近い46%。学校種別では中学校の60%が最多だった。(共同通信社'08/02/04)


というこの辺だと思う。まず,日教組組合員29万6000人のうち,3913人(約1.3%)の数値が有効数字かどうかということだが,
それが77の単組のうち30にも満たない単組からの回答なら,数値の偏りも懸念されるが,抽出という点で考えれば,単に数の少なさという点で一蹴することはできないと思う。だいたい,こんなアンケートを悉皆でやられたのではたまらない。

で,数値はないが,現場の感覚としては当たっている。
私の学校でも約8分の1の生徒が就学援助をうけ,給食費の未納は全校合わせれば10万円を超えるときもある。学力差は開き続け,ネグレクトに近い家庭の子どもたちの家庭は,収入が不安定だったり低所得だったりが多いし,その子たちの中に,成績の優秀な子はいない。
そう,裕福な家庭の子にも低学力は存在するが,逆は極端に少ない。
集金の回収もめどが立たなかったりするので,学校で購入する副教材などにも気を遣う。

これに追い打ちをかけるようなメディアの記事が
プレジデントという雑誌に出ている。

ある大学教授はこう語る。
「実は、格差問題自体は、教育社会学研究者の間では目新しい問題ではありません。親の職業や収入が子の進路選択を限定するという仮説に基づく研究は、40年以上も前から続けられてきました。今になって格差が問題になっているのは、将来の見通しが不透明になっているためでしょう。終身雇用に支えられた高度経済成長期は、極端な話、会社員になれれば一生安泰でした。ところが、最近は働いても生活保護以下の収入しか得られない『ワーキング・プア』の話も珍しくありません」

 いま日本では、「格差」という言葉を耳にしない日はない。「企業格差」「業界格差」「地域格差」「学校格差」「学力格差」「医療格差」……。日本中、格差のオンパレードだ。

 東京大学の調査(学生生活委員会学生生活調査室)では、東大生の親の平均年収は1000万円を超える。少し詳細を記すと、950万円以上の親が半数の50.7%を占め、1250万円以上は19.4%と実に約2割を占める。一方、450万円以下は13.7%にとどまる。
 東大生の親の半数は950万円以上の年収だ。この数字がいかに凄いかは、サラリーマンの平均年収と比較するとよくわかる。

 厚生労働省調べの最新版「賃金構造基本統計調査」(2006年)によると、正社員の平均年収は489万円。男女別で比較すると、男性社員の場合は555万円で、女性社員の場合は343万円。派遣社員や契約社員などの非正社員は266万円。また、上場企業の社員の平均年収は657万円となる。

 偏差値の高低や親の年収が学習意欲を左右することはないかもしれないが、「年収格差は学力格差を生む」――。東大生の親の年収調査からは、こんな仮説が成り立つ。もはや高収入の親を持つ子どもしか東京大学に合格することはできない。

 ちなみに、「賃金構造基本統計調査」によると、学歴格差も厳然と横たわっていることが証明された。平均年収では中卒439万円、高卒492万円、短大・高専卒501万円、大学・大学院卒676万円。中卒と大卒の差は237万円である。
 企業規模別にみると、格差はさらに跳ね上がる。一番低いのが中卒で99人以下の企業に勤める人の386万円。もっとも高額になるのが大学・大学院卒で1000人以上の企業に勤める人の793万円。その差407万円。
 これは感覚的には、もはや「格差」というより、「階級」的な違いとなっている。


これは中田英明さんというプレジデントの編集部の人が書いたものだが,データはリンクしたとおりで,これも,この編集者が言うように,
実は昔からみな知っていることなのである。
当然のこととして,周囲が裕福な家庭ばかりなので,そこで出会う人たちも裕福な子女が多く,その人たち同士が結婚して,また裕福な家庭を再生産していく。
そこには一種の閉鎖社会ができ,それ以外の人たちをやわらかに排除しながら,そこにいる人たちには一つのステイタスが生まれていく。

というのは嫌な話だが,私自身が田舎町の進学校に進学したとき,もらった名簿の保護者欄に驚き(医者と会社役員と上級の公務員が大半を占めていた)そして自分自身はそこからはみ出し,否定してはいるものの,つながろうと思えば,地元のありとあらゆる業種の有力者に「友達の輪」を伸ばすことが可能な場所にいることが,何よりも因習的社会の存在を感じさせる。
おそらく都会で,人が多ければ,そんなに色濃く感じないであろう古いしがらみであるが,田舎町では厳然とあり,排他的な構造を維持している。

というあたりで,にゃんこのおめめさんのお答にはなっていないかもしれないが,
ちょっと長すぎるので,そろそろやめにしよう。

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どもならん!

来年度の教育課程を作らなければならない。
問題は総合と選択

中教審の答申を聞いて,

でも,まだ何がどうなるやらわけもわからず

しかも現行の縛りはそのままで

結局よくわからないものを組んでしまった

これで通るのか,赤信号か

明日はあの案で校長に申し入れだ。

しばらく忙しい日が続く

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教員に競争は似合わない@ 性悪説から

なにかというと,言われるのが,学校の先生に競争原理をということである。
私はこれには反対の立場をとる。

性悪説の立場から,まず

私は,特に学年の教師集団はスタッフワークだと考えている。
理想的には,個性の強すぎるくらいの担任集団が,仲良くいるのがいい。

個人の競争原理が入るということは,
そこに序列がつくということである。
競争,切磋琢磨は,いい風に働いているうちはいいが,
すべてが競争となったときに,問題が発生する。
序列とは,絶対的なものではない。相対的なものである。

極端なことを言おう。
成績を比べられたとしよう。
隣のクラスと,自分のクラス。
人間なんて弱いものである。テストの日に成績の悪い子を休ませるぐらいはまだ序の口。
隣のクラスに教えなかったことをテストに出す。
統計をごまかす。
そんなことはいくらでもできる。
そこまででなくても,生徒に嫌がらせをする教師は,今はあまり見かけないが
ちょっと前まではいくらでもいた。

生徒からの評判を比べられたとしよう。
ほんとに力のある,個性の確立した教師は,今,「教師選択」にしようといっても
大してうろたえはしないだろう。
自分のところにどんな生徒が来ればいいか,どんな生徒は来ないほうがいいか,
よく分かっているし,アドバイスもしてやれる。
でも,自信のない教師は間違いなく人気取りに走る。
それが,迎合なのか,贈り物なのか,ほかの教師の悪口かはわからないけれど
一番簡単なのは,ほかの先生のスキャンダルを暴くことかもしれない。
アメリカの大統領選のようである。

なぜそうなるか
教育は営業ではないから,売上という成績はない。
その場で結果が出ないから,単年度決算もできない。
曖昧な基準の中で,みんなが疑心暗鬼になるから,いろんなことが起こるのである。
企業の原理を持ち込むのは,危険すぎる。
なにより,とばっちりが生徒に行くのがよくない。

こんなことをいう人たちは,自分の子どもが,競争に巻き込まれ,
どんな目に遭うのかを考えてみたらいい。
いやな噂を吹き込まれ,いやがらせをされ,またその仕返しをされる。
そんな学校に自分の子どもを通わせたいのか。

そんな教師は,とまた教師のせいにするのはたやすい。
じゃあ,そんな教師を全部やめさせて,補充するあてはあるか?
交代が激しいということは,どんどん劣化するし,技術の蓄積もなくなる。

重ねて言う。
人間は弱いものだ。競争は相対的なものだから,自分が優位に立つ一番簡単な方法は
相手を蹴倒すことなのである。
手段は問わない。
追い詰められた人間は,自ら退場するか,手段を選ばない反撃に出るか
二つに一つである。
それを子どもを育てる場に持ち込むことに危険を感じない程度の想像力しか持たない人が
上に立っているということが,日本の悲劇かもしれない。

家庭という極小単位の社会でも,親が張り合っていては,子どもはうまく育たないのに。

参考(過去に書いた記事):人事考課制度
             続・人事考課制度

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タグ:競争 教師 序列

学習指導要領

中教審の答申が出て,授業時間が増えるそうだが,
なんだかもうひとつ,しっくりこないものがある。
かつて,ゆとり教育全盛だったころ,
「新しい学力観」なんてチャートを作って,学習会をした。
あれはなんだったんだろう。
ちょっと点数が下がったぐらいで
一気に,もと以上にテストと学力問題が取りざたされている。
どうなっているんだろう

来年度の学校研究主題なんかはきっと「学力向上」「授業力向上」のオンパレードだろう。
でも,ちょっと待って
ここでいう「学力」は結局テストの点取り以外の何物でもない。

この前の指導要領改訂のとき,
テストの点とは違う何かを求めたんじゃなかったの?
点数にはあらわれないけど,大事な何かがあるって
パターン認識しかできない子供じゃ,対応できないことがあるって
それはどうなったの?
そこの検証はしたの?
点数にあらわれないけど,大事な何かは見つかったの?
その力はついていたの?
その辺の検証しないで,また点取りに走ったら
こどもはもっとダメにならない?

一番しか許されない発想はあまりにも狭すぎると思う。
しかも,平均という,数字のお化けみたいなものの比較だ。
その内訳にどんな恐ろしいものがあろうと,統計ってものは
扱う人の意図によって,どうにでもなる。

極端なはなし,二人の人が検証すれば,まったく逆の結果が導き出されたりもする。


それでもう一度点取りか・・・
なんか,忘れていないか?
なんか,間違ってないか?
誰かに踊らされているような気がしてならない。

子どもも点が取れなくなっているかもしれないが
他の先進国が放送禁止になるような番組をじゃぶじゃぶ流して,
活字といったら,マンガしか読まず,
常に刺激と娯楽を求めている大人たちの学力だって,もっと酷くないか?
君ら,ほんとに今の子どもの範たる人間か?
こんな腐った道徳と,腐った規範意識で,人にだけ厳しいものを求めて
ほんとに健全な子どもが育つと本気で思っているのか?
子どもは社会の鏡,社会全体で育てるもんだ。
学校と教師が育てるもんじゃない。
もし,国が本気でそう思っているのなら,とっくに全寮制にして,朝から寝る時間まで
ストイックに育てる施設ができているだろう。
それがなくて,かなりひどい親下でも,子どもがいるってことは
国は,子どもは親に育てさせておけばいいって思ってるからだ。

なんか違うぞ,もうちょっと自分で考えようや。
マスコミのいうなりじゃなくて。

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