指示の聞けない子どもたち

ここ2〜3年特によく感じることに,
「一斉指導が入らない」ということがある。

クラスで伝達をしても,まったく聞いていないということが珍しくない。
いま,すずめは3年生なので,ようやく少しは指示が通るようになったが,1年生の時はひどかった。

「宿題持ってきた人は出してください」
なんて,ふつうに言っても,誰も動かない。
じゃあ,誰も持っていないのかというと,そうではないのだ。
「○○さん,宿題持ってきた?」と個別に聞くと,
ちゃんと出てくる。最初はやむなく,机の間を一人ずつ聞きながら回って歩いた。
もしくは全員立って,指示がわかったものから座らせた。
「わかりましたか?」と念押しし,無理やり返事をさせたあと,聞いてなさそうな個人を指名して復唱させたこともある。
体を動かすことで,体に入ることもあるので,
立って聞かせて,理解して座るというのはよく使った手である。

授業中の指示だって一緒である。
「○ページを開いて」だけならまだできるが,
「○ページを開いて,Aの問題をしなさい」になると,
もうどこがどうなっているのかわからない子どもがどーんと増える。
机の間を飛びまわりながら,ページを確かめ,眺めているだけの子どもに「ここだよ」と知らせる。
全員に取り組ませるには不可欠のプロセスなのである。
悲しいことだ・・・・。

なぜ?と考えると,ひとつ思い当たるのは
家でもどこでも,子どもが少なくて,小さい時から大人の関心を独り占めできたのだろうということがわかる。
1対1のコミュニケーションに慣れっこになり,常に主役の子どもたちには,自分が40分の1なんて状況は受け入れられないのだろう。

同様にプリント類に名前を書かないというのもある。
私には,名前のないのは「オレ様」と書いてあるように思えてならない。
「オレのじゃ」とプリントが主張しているように思えるのだ。
常に主役なのだから,名前など書いて,庶民の仲間入りをするのには抵抗があるのかもしれない。


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ありがとうございました
この記事へのコメント
小学校で盆踊りを教えています。
いえね、運動会のマスゲーム的なものを、ということでネィティブな盆踊りですが10年以上前から取り組んでいます。

昔はね、近所のオッサンが「オイ」と言えば、子供はバッとそちらに集中したモンですが、今は違いますね。
文字通り太鼓叩こうが笛吹こうが、反応鈍!です。
三つ子の魂百までも。
すべては家庭の躾と、いまだに尾を引いている「自由保育」的感覚。
この二つが最大原因でしょうね。
Posted by やまのおっさん at 2008年06月03日 12:26
追記ですが、自由保育で育った人たちがもう現場で保育士ですもんね、根は深いわ。
Posted by やまのおっさん at 2008年06月03日 12:28
人間は習慣の奴隷であると言います。
中学校一年生の場合、入学当初は緊張していたとしても、やがて小学校時代の習慣に従って行動し出します。
だから小学校七年生という言葉があるんですね。
1人とか2人の学級で生活している島の子どもが、都市部の学校へ体験入学したときもやはり、「先生はだれに向かってしゃべっているのだろう」と戸惑ったようです。でもだから聞かないということにはなりません。むしろ「こんなに集中して聞かないと、人の話って理解できないもなのか」ということに気付いたといいます。
中学校教師が小学校教師風の「ひきつける工夫」をしなければならないのはつらいところですが・・・。
Posted by kurazoh at 2008年06月03日 18:11
おっさん,こんばんは。
そうなんですか。太鼓でもこっちを向きませんか。
なんだか,注意力の低下とともに,生命維持機能も低下しているような気がするんですけど,日本は大丈夫なんでしょうかね。

> kurazohさん
ひきつける工夫というか,頭に入れる方法はいくつか,これは必需品です。
でも,そうやって,聞かせながら,
ほんとはこれじゃいけないんじゃないかって思っています。
Posted by すずめ at 2008年06月03日 21:58
自由保育、という言葉に反応します。まだ20代の若造の頃に、組合の研修で保育園の参観に行きました。そこでやられていたのが「自由保育」でした。教室でなにやらやっているのに何人かの子どもが園庭で遊んでいるのを見て、初めは休み時間かと思ったのが「自由保育」だと聞かされて唖然としました。みんなと一緒に何かするのが面倒で好きなことを勝手にして遊んでいるとしか見えませんでした。保育園の発表者がそれを自慢げに話すのを聞いて気分が悪くなる思いでした。指示が聞けない、団体行動ができない(しない)生徒たちの原点を見たような気がした者です。
つい最近、うちの市ではいまだにその「自由保育」が主流であると聞いてまた唖然としてがっくり来ました。
Posted by kirara at 2008年06月05日 21:29
自由保育,なつかしいですね。いつのことだったでしょう。もう死語になったのかと思っていました。
まだあったのですね。
Posted by すずめ at 2008年06月05日 22:36
他の方のブログでもこのような内容の記事があったので、次のようなコメントをさせていただきました。おじゃまかもしれませんが、このことも本当はお伝えしたかったので、書き込ませていただきます。
集団行動の指導は、中学校1年生の入学時から1ヶ月間がすべて(いわゆる「初期指導」)です。私がかかわった学年ではすべて、この初期指導に失敗した例はありません。
かなり厳しい要求を子どもにすることになりますが、避難訓練ではなく本当の災害に襲われたとき、その指導は生きてくるでしょう。
全体指導が通りにくくなっているのは、少子化によって、学級数が減り、学年に所属する教員の数が減り、ノウハウをきちんと身に付けて指導ができる教員が学年に入っていないケースが増えていることが原因であるような気がしています。
同じ学校でも、初期指導の失敗によって学年(学級)による集団行動のはやさ、正確さ、秩序正しさに格差が生じ、言葉での指示が通りにくい学年(学級)が出てきてしまうことがあります。
学級数が多い学校では、生徒数が多いから乱れがちかというとそうではなくて、むしろ小規模校の方が話が聞けない学年が多いというのはあり得る話です。
Posted by kurazoh at 2008年06月08日 00:05
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