現役おばちゃん教師 日教組の何が悪いのよ!! > <% archive.createstamp | date_format("%Y 年%m 月")%>


本気か?道徳を正式教科に

徳育の充実だの,修身の復活だのと巷では言われていますが,再生会議がついにこんなことを言い出しました。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070330-00000001-maip-pol

気持ちとしてはわかります。
正式な教科とすれば,お茶を濁すわけにもいかないし,ちょっとはみんなが性根入れて教えるだろう。って
でもね,あんまり短絡的過ぎませんか

正式教科になるってことは,教科書が決まって,評価が入るってことなんですよ。教科書採択!!うわぁ。どんな教科書ができるんだろう。
あの,赤川次郎の時に出てきた,心のノートみたいなのができるんでしょうかね。
どんな項目があるのでしょう。
みんなが同じ評価規準で,現在は道徳の23項目っていうのがあるんですけど,何を「教える」んでしょうか。

それから,もっと恐ろしいのが評価。
何を基準に何を評価するんですか?
規範的態度がとれるかについて5段階評価?
1は,完全ジコチュー,5は国のために死ねるとか?
こわ〜〜〜〜。
道徳的に点数のいい答えって言うのができて,
生徒が試験勉強する。
点数が良くなってほんとに「道徳的」な人が育つと本気で思いますか??

朝から職員室でそんな話をしていると,
社会の先生が,冗談半分で「ボクの尊敬する人は東条英機でぇ・・・」なんて茶化してましたけど,ほんとにそれを教えることになるんでしょうか。
だれかが,
「じゃ,禅寺で座禅でも」
「それじゃ宗教教育になっちゃうじゃないか」と反論があり,
「じゃ,いっそ,宗教いろいろキリスト教のミサも,イスラム教のラマダンも入れてみたら。それなら宗教上の中立も保てるんじゃない?」

聞いていた校長が目を丸くしていました(笑)

とにかく,今の教育再生会議の言うことには,どうもはぁ?ってなることが多すぎるような気がします。
もう少し,立場考えて,慎重に協議してもらえないでしょうか。


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って一緒とちゃうんかい?なぁん,気のせいや

年度末 あれしてこれして・・・・

春休みに入ると,次の年度を迎えるために,やっておかなければいけないことがいくつかあります。

ひとつはこの年度受け持った子どもたちの記録をきちんと整理すること。
いわゆる指導要録というものを書かねばなりません。
最近は開示請求とかいうこともあって
何年も経ってから,「見せろ」とか言われて,
「あの担任,何を書いてくれとんじゃあ!だから高校に落ちたんやろ!」なんて恨みを買うことを恐れ,調査書と同じようにいいことしか書かないとか言う人も出てきました。
というか,説明責任を果たせるように,指導内容も書いて,プラスの表記をするように管理職も要求します。

だからって,悪いもんは悪いやろ!

って思いませんか?

その子の性格や人間性の面では,未発達の部分があるのは当然なんですから,私はガンガン書いちゃいます。

はぁ?恨むんなら,恨め!
毎日私に散々言われて,生徒も承知していることしか書いてないんです。
読んだら,あ〜〜,やっぱり。って反省しなさい!
無理かな・・・・

そういえば,生徒に最後に反省文と,2年生になったらどうなりたいかを書かせたら,
特に男の子たちは半分以上
「先生に怒られることが多かったので,2年生になったらもうちょっと怒られることを少なくしたい」
私ってそんなにおっとろしかったのかな??


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植木等さん逝去 時代がまたひとつ

植木等の訃報に,ああまたひとつ時代が終わると寂しさを感じるすずめです。

「ハナ肇とクレージーキャッツ」のメンバーとして活躍し、サラリーマンの哀感を込めた歌「スーダラ節」や映画「ニッポン無責任時代」など“無責任シリーズ”の大ヒットで一時代を築いた俳優、植木等(うえき・ひとし)さんが27日午前10時41分、呼吸不全のため東京都内の病院で亡くなった。80歳だった。
毎日新聞


若い人たちは知らないかもしれません。
この人の「ニッポン無責任時代」に代表される『無責任男』を題材に授業をしたことがあります。
『無責任』という言葉の持つ雰囲気,意味,対局をなす言葉(中学生たちは真剣,真面目,一生懸命などを選びました)を考えたうえで,植木等さんと,もう一人高田純次さんを取り上げて,
彼らが本当の意味での無責任であったかどうかを考えます。
生徒たちは,いろいろ考えたり,友だちの意見を聞いたりしながら,次第にひとつの結論に到達していきました。
すなわち

彼らは,いかにも無責任で,いい加減な人生というものを全面に出しているが,決して100%無責任であったり,いい加減であったりするわけではなく,実は計算された演出があると思う,と生徒たちは言うのです。

生きて行くには,100%『無責任』であったり,100%『一生懸命』であったりするのはやはり辛いと思うので,バランスの取れた生活をしたいなんて,中学生が言うのですよ。これはこれで,ちょっとビックリしませんか?


〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆〜

こうしてまたひとつ,時代が変わっていくのですね
今年はなんか,たくさん亡くなっているように思うのですけど。

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かす汁で飲酒運転で,処分で,不祥事ってちょっと可哀想

神戸市教育委員会は26日、酒気帯び運転をしたにもかかわらず、上司に報告しなかったなどとして、市立小学校の男性教諭(52)を停職6カ月の懲戒処分にしたと発表した。教諭は酒かす汁を食べ、検問に引っかかったといい、「酒かす汁で処分されるのは納得できなかった」と話している。

これは,気の毒としかいえません。
上司に報告しないというのは,明らかに×ですが
かす汁で飲酒運転で,それで不祥事って言われても,
素直にすみませんとは。。。。言いたくない気持ちもあると思います。

この事に対して,
「かす汁だろうと,アルコールには代わりはなく,教師たるもの,それくらいの意識がなければダメ」という人もいれば,あんまり可哀想と言う人もいるでしょう....

お酒に弱い人の中には奈良漬け一切れでも心臓バクバクの人もいますから,かす汁だって侮れないと思います。
30秒以内なら,口臭スプレーだって酒気帯びに取られることがあります。
気を付けた方が良さそうです。


〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆〜

これで不祥事だって言われて,また「教員は・・・・」なんて言われて,
そこまで言うか?って私は思っちゃうんですけどね。


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地震 雷 火事 親父なんて,みんな知らないんだろうなあ

全然関係ない話題なんですけど,
ゆれました。

地震があったんです。
これだけ揺れたのは,あの阪神淡路大震災の時以来でした。

いきなりグラッてきて,何分揺れていたでしょう。
かなり長く感じました。
いつまで経っても止まないのです。
しかも,何度も。。。。

思わず,あの震災の時のテレビ画面が蘇りました。
あんなにあちこちで火事があったらどうしよう。
避難場所ってどこだっけ。
扉が閉まったままで,家が傾いたら,でれなくなるのかな。

学校には,市役所の人が来て,被害がないか確かめていきました。
学校は無事でしたが,ガスが漏れたところあり,
陥没して崩れた道路あり。
あんなの直してたら,今年は雪がなくて,除雪費用が浮いたって言ってたけど,これで持ち出しになっちゃうかもしれないな。
なんて,いい加減なことをいろいろ考えてしまうのでした。

そうそう,
春休みに入る前に,選択の理科の先生が,昔々の日本沈没の映画を見せたくて,プレートテクトニクスの話をしたって言ってましたから,
もしかして記憶の片隅にあれば,地球のエネルギーの大きさを実感したかもしれません。


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タグ:地震

これも『ゆとり』の結果?

前に書いた記事に生徒さんの意見が書き込まれていました。
全くその通りだと思います。
子どもに100%責任はありません。

最近の子どもは変わっただのと言われますが,周りの大人がそうしたのであって,子どもの本質は変わってはいません。

『ゆとり』と5日制のせいばかりではないと思います。

長引く不景気,ロストジェネレーション,76年代,
みんな無関係ではないと思います。
最近のニートや引きこもりの増加とも。。。。

「一生懸命勉強したって,なんもいいことないし」
「勉強嫌いやし,高校なんて行きたくない」
「大丈夫や。なんとかなる」
「え〜〜,だってわからんもん」
「これくらいでいいやろ?」


この子たちに勉強させようと,教師たちはあの手この手を使いました。結果,子どもたちは教室に座っていればいいお客様になりました。

家庭でも,6ポケットといわれるドラえもん4次元ポケットに似たマジックポケットに庇護されて育った子どもたちは,お誕生日までガマンしなくても,その場でほしいものを買ってもらえます。

母たちは子どもが言うより早く,子どもの欲求を満たして子どもに仕え,結果子どもたちの言葉を奪いました。

こうしてみんなでよってたかって大事にしすぎた子どもたちに
私たちはどう責任を取っていったら良いのでしょう。


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5日制はゆとりをもたらしたか

ゆとり教育にもう一つ切り離せないのが週5日制です。
これが入ろうとするとき,実はずいぶんもめました。

小中学生を地域と家庭に戻す。というのが週5日制の目的でした。(過去形で書きます)
学校と部活に追いまくられて,家庭で過ごす時間がないから,家庭生活,地域の教育力を高めよう!

高まっていると思いますか?

そのまま家に帰したんじゃ,きっとゲーム漬けが進み,こどもがぐうたらになるだけだ。と多くの教師が言いました。
PTAも声を大にして反対しました。


日教組が週5日制を提唱したわけじゃないですからね。
文科省(まだ文部省かな)の強い提言ですからね。
でも,文部省を動かしたのは,当時の外務省と政府です。
日本人は働き過ぎだ。だいたい子どもまで,勉強だけしかしてないじゃないか!
確かに教師の労働時間短縮という見かけのエサはありました。
でも,週5日制になったとき,実際は土曜日4時間分の労働時間を他の5日に上乗せしました。
ILOから2度も労働基準法に抵触していると指摘のあった公務員の労働時間です。世間一般が考えている程のんびりはしていません。
当時,文部省に歩み寄ろうという姿勢だった日教組も,地域のスポーツクラブを充実させるのなら仕方ないか。と同調しました。

で,週5日制も,導入までは,やれ地域の受け皿だの,スポーツクラブだの,カルチャースクールだの,公民館の地域行事だの,子どもクラブや少年連盟だの,いろんな活動ができるかのように見えました。

いざ週5日制スタート。やっぱりというか,案の定,ぐうたら決め込む生徒が多数。最初は「ゆっくりすごすのもひとつの選択」なんて,苦し紛れのことを言っていましたが
やがて教師たちはガンガンに部活動をやり始めました。
もともとやりたかった人たちも多いのです。土曜日に1日部活ができる!

最初は第2土曜日と日曜日の部活を禁じていましたが,いつのまにかなし崩し。
あとには,いっそう部活に追いまくられる中学生と,ゲームやケータイにはまる少年少女と,日教組への批判が残りました。

なんかおかしくないですか?

今頃になって,政府は,いいます。

だからいわんこっちゃない。学力がこんなに低下したじゃないか。土曜日に補習をしろ。授業時数を増やせ!
あんたが減らしたんじゃなかったの??

といっても,その当時の責任者はもういないんですよね。


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また一人亡くなりました。城山三郎さんという作家

城山三郎氏死去
人の生涯には限りがあるのだから,いつかは死んでしまうというのはどうしようもない事象ですが,また一人20世紀に生きた,才能ある人材が亡くなられた事に,心から哀悼の意を示し,ご冥福をお祈りしたいと思います。


そんなに読書家とは言えない私が,城山三郎という名前を覚えているのは,「素直な戦士たち」というタイトルの小説が,新聞に連載されていたからです。

「素直な戦士たち」を毎日新聞で読んでいたのは,私がまだ学生のころのこと。
読み続けたことなんかなかった連載小説の,これは何故かやめられませんでした。
あまりにも露骨で徹底した千枝の教育方針と
千枝の夢実現の道具となる息子たちと夫
学歴社会のまっただ中を生きていた私には,
否定も肯定もできない,あまりにも身近な問題だったのかもしれません。
それでも,東大受験に突っ走り,そして崩壊していく千枝の夢を
冷ややかな他人事の目で見ていました。

「素直な戦士たち」の構図は,学歴社会がある意味破綻してしまっている今にも,形を変えて存在し,
母たちの期待に応えかねている『素直な戦士たち』はつぎつぎと心を病み,学校に出てこれなくなったり,暴れて壁に穴を空けたりし始めます。
「○○高校へ行きたい」と,自分の点数では望むべくもない県内一番の進学校を,さも自分の希望のようにあげる子どもたちの半数は,幼い頃からそう刷り込まれた親の希望を自分の希望として感じているのです。

ほとんどの親は,しかし,それを認めません。
「この子が言うもので」なんて言う人もいます。
心の中で「アンタが言ってるんじゃないの?」と悪態をつきながら
「おかあさん,でも,今のままじゃ・・・」
「そこまで無理をしなくても,こっちの学校で,こんなことをすることも考えられますし」>「先生,これから家庭教師を付けて,勉強させれば受かるでしょうか」

いつの時代も親は哀しいものだなと思わないではいられません。


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ゆとり教育のもう一つの落とし穴:教師の立場から

生徒にとっても余裕のない「ゆとり教育」ですが,教師にとってもなかなか曲者です。

その大きなひとつが総合的な学習の時間。
うまくやっている学校では生徒がいろいろなものについて考え,課題を見つけ,体験的にいろいろ学んでいくので,私はガンガンにやる方なのですが,この準備がなかなか。
これまで教科のことだけ準備していれば良かったものが,
この何でもありの総合に頭も時間も取られちゃうわけです。
そりゃあ,もう大変・・・・。

で,これがまた,悪さなんかしたこともないような教師集団がネタを考えるのですから,テーマが真面目まじめ。
そんなん,ほんとに楽しい??って聞きたくなるようなテーマは,生徒だって興味はありません。

平成14年以前は,教科のことと,クラスのことを考えていればよかった教師のオツムも,教科,クラス,選択,総合,とたくさんのことを並行して考えていかなくてはいけなくなりました。
業務内容が増えれば,忙しくなるのは当たり前の話ですから,しんどくなるのも当たり前なのです。

しかも,教師だけではないと思いますが,人間とは変化を好みません。次から次から新しいことを考えていくということは,それなりに思いきりと,無謀さと,チャレンジ精神がいるわけで,
教師のすべてがそれを兼ね備えているわけではありませんし,
みんなが同じように考えるわけでもありません。

もうすこし話し合いをする時間が確保されれば,少しは前に進むのでしょうが,勤務時間内にそんな話し合いをする時間をゆっくり取ることはできません。
授業が終わって,部活の指示をするだけでも5時になってしまうからです。保育園にお迎えがあったり,じいちゃんばあちゃんの世話をしている教員もいます。きっと世間の方は,そんなもん,8時でも9時でもすればいい。教師やろ。って言われるのでしょう。
でもね,はじめっからそんなエンドレスを前提条件にされては,教師だって身が持たないし,家庭が崩壊するのです。


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ゆとり教育でゆとりがなくなっているもう一つの理由

現在使われている指導要領は平成11年に改訂されたもので,14年から実施されています。
週5日制になり,総合的な学習の時間ができ,選択教科が増え,授業内容が削減されました。
それで,学習内容が・・・という話しが取りざたされるようになりました。

でも,ちょっとだけ見方をかえると,やっぱり首をかしげたくなることが出てきます。

この改訂を機に,年間授業時間980時間というのがとてもうるさく言われるようになりました。
それまでは,文化祭だ,運動会だ,遠足だと授業時数がカットされていっても,一応報告が上がっていればOKでした。
ちょっと放課後に時間をひねり出したいときにはA校時,B校時というのがあって,50分の授業時間を45分に縮めて行うと,放課後に30分時間が浮いてくるというマジックがありましたが,この45分授業もできなくなりました。
50分が1単位なのだから45分では足りなくなる。それでも45分授業をするのなら,5分の不足時間を全部洗い出して,補充の授業をするようにというのです。事実上45分授業は封印されました。

そして,「今年は足らなかったね」で終わっていた,年間の授業時数が厳しく言われるようになりました。1,2年生はほとんど問題ないのですが,1週間早く卒業してしまう3年生が足らなくなるのです。この980時間を確保するために,それまで3時間で終わっていたテストの日に5時間目までテストをするようになりました。終業式や始業式の日も,午前中で生徒を帰してしまったのでは授業時数が足らなくなるので,6限目まで授業をするようになりました。それでも授業が足らなくなり,遠足や球技大会などをなくしました。
平成14年以前の中学校における授業時数は1050時間でした。平均的な学校では1,2年生がこの基準をカバーし,3年生が1000時間をちょっと切るぐらいだったでしょうか。平成14年度に授業時間が980時間になったのですが,実際の授業時間は3年生で980,1,2年生で1050といったところです。
そうなんです。実際の総授業時数は,そんなに減ってはいないのです。

何が減ったのでしょう?授業日数が減っています。すべての土曜日が休みになって,それまで220日ほどあった授業日数が200日ほどになりました。20日も短くなった日数の中で,それまでと同じだけの授業時数をこなすのです。それがどんなに余裕のない,ゆとりとはかけ離れたものかわかりますよね。

じゃ,削減された授業内容はどうなったの?
それもです。極端でわかりやすいのは,円周率πですね。あれが約3になった。じゃあ,約3で計算して,ちゃんとした結果が得られるか?とても満足できるものではありません。で,先生たちは,こっそり3.14も教えちゃう。だって,円周率を訳もなく覚えて喜ぶ小中学生,3.14抜きには生まれないじゃないですか。それが勉強の楽しさなのに。

どうですか?ゆとり教育なんて,ちっともゆとりじゃないって事が少しはわかっていただけたでしょうか。
「ゆとり教育」=ぐうたらな学校生活のように感じている人が多くいるようですが,子どもたちは昔より20日も凝縮された学校生活を強いられるようになっていたのです。


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学校からゆとりをなくした真犯人,いいえ,ゆとりなんてはじめからなかったのです

悪者にされている「ゆとり教育」ですが,ほんとうに学校にゆとりはあるのかというと,多分教師も子どもも口を揃えて「ない」と即答するでしょう。

教師が答える分には「おまえら,ヒマすぎるんじゃ!」と,何を言っても非難しかされない昨今ですが,子どもは?

普通の日の彼らの1日は,4時に授業が終わり,それから部活,7時に家に帰ると,ご飯を食べて,テレビのひとつも見て,お風呂にはいるともう9時すぎ。宿題をして寝るのが11時ぐらいでしょうか。塾に行く子だと,ご飯の後に2時間の塾が入ります。

親たちに言わせると,「疲れて家に帰ってきて,ご飯を食べるともう目が開いていません」
子どもたちの日記には,毎日「疲れた」の文字が並びます。
これがほんとうにゆとりある日々??

今の子どもたちは1週間に28コマの授業を行います。
私たちの子どもの頃は34コマでした。今回の見直しで,1割程度授業時数を増やすようにとのことでしたので,多分30コマぐらいになるのでしょう。
30コマだと,6時間×5日,なんとか土曜日に出てこなくても授業は消化できそうです。

でも,なんか,納得がいきませんね。

学校って授業だけじゃないと思うんですよ。
その他に,行事もあれば,友だちとの関わりもあって,授業以外の部分で子どもは笑ったり泣いたり怒ったりしながら成長していきます。

授業数を確保するために,学校はずいぶん行事を削りました。運動会さえもなくなった学校もあります。3年生を送る会なんて,一番先につぶされました。

そして,また授業増。また行事が減らされるかもしれません。
授業だけしていればいいのなら,教員は楽です。他のことを考えなくていいのですから。
でも,子どもたちのはち切れそうなエネルギーは行き場を失ってまた鬱積していきます。ほんとにこれでいいのでしょうか?

最近は夏休みも部活とサマースクールで生徒は毎日学校か,研修施設へ出かけて行きます。夏休みに家族旅行をと計画していたお母さんたちは,「休みの日なんてないじゃないの!」と怒るハメになるわけです。

日本人はゆったりすることが基本的にキライなんだと思います。いつも一生懸命やっているのが美徳であり,良いことであり,のんびりしているのはぐうたらで悪だと。
なにがのんびりで,どこからがあくせくなのか,見極めは難しいところですが,何をどうしても,日本人ってあくせくしちゃうんじゃないかなと思っています。


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ゆとり教育が悪いのか,学校の先生が悪いのか,悪者さがしは終わらない

「ゆとり教育」見直し、賛成8割=免許更新制導入求める−時事世論調査3月18日15時0分配信 時事通信

またまた出ましたね。
なんか,もうどうにでもして。ってマゾヒスティックな気分になってくるおばちゃん教師です。


学力低下論争は,2003年のPISAとか言うOECDの学習到達度調査で,日本の高校1年生4700人の調査統計を取ったところに始まります。
結果だけ言うと,日本の15歳は,その時も世界の1位グループです。別に悪くも何ともありません。平均を下回ることもありません。
なのに,何故そこから学力低下論争が始まったのでしょうか?

問題は読解力です。日本の子どもたちは読解力の分野において,第1位グループのフィンランド543点に対し498点と50点近くも差があり,総合読解力の分野においてのみ,世界の2位グループに転落しました。
ここから,それみたか,いわんこっちゃない。ゆとり教育なんてやってるから学力が落ちたんだ。誰が悪い?教師の教え方が悪いんだろう・・・・とつながっていっちゃった。

でもですね,実はこの読解力にもまだあって,
日本の生徒は,記号を選んだり,語句を入れたりする問題は良くできてたんです。じゃ,何が?っていうと,記述式が弱かった。いえ,弱かったんじゃないのです。できている子はできているのですが,白紙の解答が多かったのです。はい,生徒たちは,面倒くさい問題にははじめから手を出さなかったのでした。もしくは,違うかな?と思ったら,もう書かなかったわけなのです。

もしかしたら,この面倒くさい問題にも丁寧に取り組む姿勢を付けるには,もっとゆとりをもって学習に当たらなければいけなかったのかもしれません。

軽薄短小,なんでも一発解答他になし。のゲーム感覚では,じっくり考えて自分の答えを出すなんてことはできませんから。
私が考えるには,教員の免許法を書き換えたり,なんとか教員の出来の悪いのを排除しようと考えていた政府には,格好の攻撃材料になったのだと思います。ついでに文部科学省もたたいて,権限を奪い取っておけば,教育への国家統制にまた1歩近くなる。
まさにこれ以上ない切り札になってしまったのではないかと思います。

そうじゃなければ,この時一躍脚光を浴びたフィンランド(フィンランド詣でなんて呼ばれる教育視察がいっぱい行きました)をモデルにせず,2002年の段階で破綻をきたしていることがはっきりしている英国をモデルとした教育改革が行われようとしている説明がつきません。

英国の教育改革は,サッチャーさんが1988年から実施し始めたのだけれど,10年で破綻しているわけで,安倍さんがなぜ,そこまで英国にこだわるのか,その辺の意図は私ごとき一般教員にはわからないのであります。

この点については,ブレアさんも公式に認めている英国の教育改革の失敗を,マスコミは絶対に書かない。なぜフィンランドでなく,英国なのか,その辺のことはブラックボックスの中で,マスコミは政府の回し者だと思わざるを得ません。
そして,国民は,

「教育が悪い。教育が悪いのはゆとり教育と先生のせいだ。

指導要領を変え,先生の質を上げろ」


との大合唱を,本当のことを知らされないまま根拠のないまま唱えているのではないですか?


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なんでこんなにヒマがないの?

卒業生がいなくなってしまって,学校はちょっと閑散としていますが,
これからが教師の年度末本番です。
まずは1,2年生の成績を確定しなくては。
最近はPCを使って成績を出します。
得意な人の中には,観点のABCを入れると,勝手にAが3つなら4とかいうように評定が入力されるシステムを作っている人もいます。
でもねぇ,なんか人間味がなくて,キライ
やっぱり一人ずつ,

う〜〜ん,やっぱりコイツは・・・・
って考えたいじゃないですか。

そんなことやってるから時間がないんだというそしりは置いといて。

古い時代のおばちゃんたちはひとりずつ成績を決めるわけですよ。
(決してPCが苦手な訳じゃないですけど,所詮機械はバカだから,細かいニュアンスなんてわかんないでしょ)

その通知表の打ち出しを土日にやらないと,
何しろ平日は授業だってありますからね。

高校生の未履修に端を発した未履修問題は,
中学生も(実はあるんです,習字と保健体育の保健)巻き込んで,先生たちもキュウキュウ

準備の不十分な授業ほど惨めなものはないですから,授業の準備って,普通は授業時間の倍って言われています。
3時間かかって準備したことが,ものの5分で終わることもありますし。

その本業に加えて,成績,年間指導計画の作成(今年教科書が変わったので,新版にあわせなきゃ),なんと言っても時間がかかるのが指導要録の記入。。。。
それに資料の整理と,もしかしたら異動の準備,なんてなったら,

1日24時間じゃ足りません。


あ,そうだ,委員会から調査が来てたぞ。教育課程調査。すべてのクラスの各教科の授業時数を数えて出せってさ。
へ?18クラス,4月から,国語のトータルは何時間で,内何時間の書写を実施って,全教科分を各クラス毎に出すんですよ。で,規定時間に満たなかったら,今からどうするんでしょうかね春休みに補習??ま,1,2年生で足りなくなることはあまりないんですけど,たまに同じ曜日が何回も欠けたりすると,家庭や美術や道徳のように1週間に1コマしかない科目が足りなくなったりします。

今までは抽出クラスの年間実施時数だけ送れば良かったのですが,今年から全クラス提出せよになりました。

意味わからん!!と生徒でなくても叫びたい気分です。

さて,今から数えに行ってきます。


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携帯電話なんて,高校生になってからでいい

小学生の約3割が携帯を所有。中学生は“大人用携帯”を選択――バンダイネットワークス調べ

なんて記事がでていましたね。
最近は確かに携帯を持つ子が増えています。

でも,はっきり言って,

中学生以下の子どもに携帯は悪ですゼイゼイ


塾の帰りに迎えを呼ぶためなら,親の携帯持たせて,家に電話かけさせればいいし,
夜の10時過ぎにもならないと帰れない塾に,小学生の子どもが通うなんて,「早寝早起き朝ご飯」という学力向上の黄金律に反します。
携帯を持つ中学生の4割が,顔も知らない相手とメールを交換したことがあるという調査結果もあります。
交際範囲が広がって,親の目が届かなくなり,良くない友だちができる可能性も増えます。
出会い系サイトで会った男の人とホテルへ行って,お小遣いをたくさんもらう娘もいます。
ネットへの誹謗中傷の書き込みや,友だちの悪口をメールで回す。中にはヘンな写真を学校中に回された子もいます。
まさに携帯は子どもにとっては凶器。それに払う月ごとの通信料を考えても,どうひいき目に見ても,メリットがデメリットを上回るとは思えません。

親が「みんな持ってるのよ」という子どもの『みんな』攻撃に負けているか,飽和状態に近づいている携帯会社の陰謀に負けているか,どう考えても,踊らされているとしか思えないのです。

しかも,信じられないことに,そのうちの何割かは,月2万もの通信料を払ったりしているのです。なんでそんな状態を許すのか,親の権限で,発信制限をしたり,メールやネットを制限しないのか,せめて通信料の上限を決めたりしないのか,私には理解できません。


自治体によっては「子どもに携帯を持たすのはやめましょう」と呼びかけているところもあります。

小中学生の親のみなさん,記事を読んで,また子どもに攻められそうだと思っているお父さん,お母さん,携帯を持たすのは高校に入ってからで遅くありません。


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内申書に書かれていること

時々「内申書に響くから」なんて脅し文句をちらつかせたり,
親の方から「内申書に響きませんか?」とか
場合によっては生徒から「内申書が怖い」なんてことを聞くことがあります。

教師の中で,これを脅しの手段に使う人がもしほんとにいたら,情けない限りですし,そんなものを使わないと生徒に言うことを聞かせられないのなら,今度は指導力不足教員で研修を受けなければいけないと思うのですが,
内申書ってそんな怖いものじゃないのです。

高校に受かろうって生徒に,高校に受からせようって教師が書くものです。
いいことしか書いてあるわけがない。
美辞麗句のオンパレードです。

多分,高校の先生は話し半分に読むか,全く内容を無視していると思います。

じゃ,何が書いてあるかはまた夜にでもお話しします。

クラス替え真っ盛り

卒業式の前後,期末テストが終わった辺りというと,来年度のクラス替えが真っ盛りを迎えています。

生徒たちも気になるので,いろいろ聞きに来ますし
どうやってクラスが決まるのかは最大の関心事になります。


「先生,どうやってクラスって替えるの?」


「ん,こうして,みんなのカードを作って,順番にババ抜きするみたいに取っていくんや。」(とトランプの真似をする)


「ウソや,そんなん,ありえんし」


「でね,これはいらんなあ,と思う生徒のカードは机の上に残っていってね,最後はそれの取り合いになるんよ。」


「え〜〜〜,最後に残ったら,どうなるん?」


「みんなでジャンケンして,取るんや。あんた,宿題出さんかったら,最後まで残って,コイツいらんわ。宿題出さんし,ってことになるよ」


「え〜〜〜〜,ウソやし」


はい,ウソです。ありえません。そんなこと。
でも,けっこう,あの子がほしい,この子はいらんとわがままを言う人もいます。
表だっては言えないので,たとえば,同姓の子が重なって,どっちかを誰かと取り替えなきゃいけないような場合は,どの子と取り替えようか,いろいろ考える人もいます。

っていっても,4月になるまで,どのクラスを持つかわからないし,

だいたい,3月の異動が発表になるまで,自分がこの学校にいるかどうかもわからないんですけど,人間って不思議なもので,自分が担当して受け持ったカードのクラスを受け持つような錯覚に捕らわれるのです。

あ,仕組みがわからないかもしれませんね。
3月になると,学級担任は自分のクラスの生徒氏名を,一人ずつ個票と呼ばれる短冊型カードに書き込んでいきます。
成績,家庭環境,一緒にしてはいけない子(いじめられたとか,特に仲が悪いとか)一緒にした方がいい子(友だちを作るのがとても苦手な子で,特定の相手としか関われないような子とか,ハンディのある子で,面倒をみてもらわなきゃいけない相手とか)などを書き込んで仕上がったカードは,同時進行で,同じような項目を打ち込んだPCのシートと突き合わせで作業を開始します。

リーダーになりそうな子と,問題を起こしそうな子をクラスに配分した後,一般ピープルをクラスの合計点がだいたい同じになるように配分していきます。

相性や,同姓,PTAの役員になる人,などを見ながら,各クラス均等になるように交換作業でならしていきます。

だいたい,どこのクラスにも,問題を起こしそうな子が同じくらいになって,どのクラスを見ても,「うわ,このクラス,持ちたくない」って思う程でちょうどいいと言われています。

そんなもん,PCのシートがあるなら,カードなんかわざわざ作らなくてもって言う人もいますが,最終的にはカードを並べて,人間の目で見ないと,クラスの雰囲気はわかりません。しょせん,機械は機械です。

最後に4月になってから,転入や転出,さらには持つ人との相性なんかも見て,微調整をした後,担任と受け持ちの生徒が決まり,担任は,いろいろ書かれた個票を見ながら,その子についての事前学習をするわけです。

現在,作業は9分どおり終わり,同姓も見たし,付ける,離すも見たし,しばらく寝かせて,時間をおいてから,もう一度忘れた事や,不十分なことがないかを見る段階にきています。

来年はどんなクラスがあたるでしょう。
最近はどの子がいいとか,あまり何も思わなくなったおばちゃんは,若手の人や,転任してきた人に先に選んでもらったあと,残ったクラスをもらっています。

クラスによっていろいろあって,蓋を開けるまで相互作用は読めなかったりしますので,お勉強のクラスも,ジュラシックパークのようなクラスも,食欲のクラスも,頭の中まで筋肉だったクラスもありました。今年のクラスはおとなしいクラスで,おばちゃんが多少無理難題をいっても,誰もブーイングのひとつもしません。「おーい,誰か止めて」と心の中で叫びながら,毎日が過ぎていきました。あともうしばらく,子どもたちの心に思い出と,語った言葉を残していきたいと思っています。


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ちょっとあんた!子どもの卒業式ぐらい来なさいよ!!

寒い日になりました。
吹雪くことはなかったので,まだ良かった方としましょう。
それでも,時折雪の降る卒業式となりました。
誤算のその1はスリッパ。
「上履きをお持ち下さい」と案内には書いてあります。
今までの保護者懇談や,学校行事で,外履きのまま校舎には入れないこともわかっていると思います。
これまで3年間,学校に通ってきている親たちです。

でも,スリッパ持参の保護者は1割もいませんでした。
200ほどもあるスリッパがみるみるうちになくなっていきました。最後は,もう捨てようかと言っていたおんぼろスリッパも総動員して,それでも最後の数人の方は,この寒いのにスリッパがなくて,ほんとに気の毒でした。
中には家族4人でやってきて,全員スリッパを履いていってしまう人もいます。

「300ほど用意しなきゃいけないね。」と係で話していたのですが,釈然としない思いも残っています。
学校ってサービス機関なの?
お客様なの?保護者は。学校が上履き持参を求めることはおかしいことなん??それでまた「学校はスリッパのひとつも用意してない!」ってクレームが来るのって,それってあんまりなんじゃない?


式が始まって,受付をたたもうとしたら,まだ1割足らずの保護者が来ていないことに気がつきました。
来るか来ないかわからないので,すっかりたたんでしまうわけにもいかず,一人そこに残って待つことにしました。
来るかな?来ないかな?

中には不登校生で,すでに次の日,個人的に卒業式No2をすることが決まっている人や,受験に行っていて欠席の子もいて,そんな所の保護者は来ないだろうと予測はつきます。
でも,普通に今日,他の子どもたちと一緒に卒業式を迎えている子も中には混じっています。
同業者で,3年を担当している人は,まず来れませんから,これはわかります。でも,他は・・・・?

中に一人,教室には行けなくて,保健室登校を続けていた子がいました。今日はクラスに戻って,他の子どもたちと一緒に卒業式に出ています。その子のお母さんが来ていません。
お仕事が休めなかった?いえ,そのお母さんは夜のお勤めですから,お昼前はいつも家にいます。
体の調子が悪いのかもしれません。今日は突然やんごとない事情ができたのかもしれません。


でも,でも,来いよ!!
我が子の卒業式,ぐらい見てやれよ!!
ギリギリいっぱい,みんなと式場に入っている我が子の姿じゃないか
と思うと,おばちゃんは悲しかったのであります。

懐古・・・・教師を辞めようかなと思うとき

昔,40になったら教師を辞めようと思っていました。
(んじゃ,とっとと辞めんかい!なんて言わないでよ。話終わっちゃうじゃない)

中学校時代,教師なんて嫌いで,自分が教師になるなんて思いもしなかった頃,40を過ぎた女の先生で,いいなぁと思う人がいなかったから。

年取って,おめおめと生徒の前に生き恥さらしたくない(ちょっと大げさ)と思っていました。

でも,自分が40になったとき,現実はそんなに甘くはなく,家族のため,自分の子どものため,自分の生き甲斐のため,職をなくすことなどできなかったからです。

今,自分が子どもらの母の年を越え,どんな風に映っているのだろうと考えると,ちょっと恐ろしいものがあります。

その一方で,団塊の世代の大量退職を控え,自分たちが先頭に立たなければならない順番が来ていると思うと,今辞めるわけにはいかないとも思います。

だって,私たちの年代のすぐ下からは,採用がぐっと少なくなり,あまり元気のある年代ではなくなってしまったからです。

講師経験もなく教師になってしまった私は,長い間,一番年下でした。当時は年齢順に綴られていた(今は50音順)出勤簿は,だから,いつまで経っても一番下でした。

下がいないので,いつまで経っても使い走りでもありました。

いつのまにそれが先頭になるのか,不思議な気がします。

いつまで走り続けられるかな。

でも,退職の条件だって,メチャ悪になるし,かといってこれから10年以上も経てば,退職金も年金もなくなっちゃうかもしれない。

生活できないよ。。。。

どこまでも辞められないなあ。

葬式を知らない生徒たち。晴の場ってわかんない

卒業式はなんといっても中学校では一番気を遣う式です。
お客様だってたくさんいらっしゃいますし,保護者も一張羅を着て,中には家族総出で子どもの晴れ姿を見に来るのですものね。

毎年のことですが,この時期は「日本人の心得」(日教組のクセに右翼みたい(笑))を語る時間が1時間(説教から始まって延々と語る。生徒が眠くなろうが退屈な顔をしようが,たたき起こして無理矢理聞かせる。ほとんど体罰に近い)

今日は授業も乗り気になれないし,ここで一発,と生徒のあら探しをしていると,まあ,計算したかのようにうまくハマってくれる人がいました。

よっしゃ,語るぞ!

日本人には昔から晴の場とけの場があって,卒業式は学校での最大の晴の場であること。

晴の場には相応の作法があって,日常と同じ気持ちでは臨んではいけないこと。

社会に出て,場をわきまえられないことはとても恥ずかしいことなのだから,学校できちんと練習をして,場の雰囲気を感じなくてはいけないこと。

「これくらいいいじゃん」といういい加減な甘えを捨てて,しっかりやることが人間の成長につながること。云々云々・・・・

もちろん,どれだけ言っても,どこ吹く風,のれんに腕押し馬耳東風,とまったく効き目のない子もいるのですが,何人かは,ふんふんと聞いています。

さて,ではやってみましょう,と呼びかけると,それぞれに髪を結んだり,止めたり,ネクタイを結び直したりといろいろするわけです。

よしよし,これで今年もうまくいくかな。と思ったのが甘かった。

なんと,髪をうまくピンで止めることができない生徒が山といたのです。

確かにいつも自分で髪を結んでいない,またはちゃんとまとめる練習をしていない子は,突然髪の毛を扱うことなどできません。
あまりのくちゃくちゃにあきれ果てた担任の明日の持ち物には,櫛とピン留めが加わりました。

さて,あしたはどうなるのでしょう。

卒業式前夜

明日が卒業式なので,今日は午前中で授業が終わり,生徒も教師も準備に入ります。
あ,いえ,お母さん方もですね。

ちょっと前までは夜中にガラスを割りに来る生徒や,スプレーで落書きをしたり,消化器をばらまいたりしにくる卒業生たちがやっぱりいたものですから,夜は生活指導担当が泊まっていたものでした。

数年前からはそんな事件もなくなりましたので,一応警察にお願いはするものの,泊まり込みまでしなくなった学校がほとんどだと思います。

私は女であるということもあって(これって逆の差別なのかな?)泊まることはありませんでした。9時頃まで残っていることはありましたし,巡回もしましたけど。。。。

そんな面では生徒はおとなしくなりました。
エネルギーがなくなってきたのかもしれませんし,
やんちゃは徒党を組んですることが多いので,コミュニケーション能力の低下により,仲間をつくることができなくなっていることもあるように思います。

悪のりもしないってことは,子どもの健全(?)なエネルギーのはけ口が減っているわけで,どこで発散していいのかわからない子どもが,ますます整わなくなっている気もします。

まだ若くて,自分も元気だったころは,生徒に悪戯を持ちかけ,けしかけ,「笑える悪さ」をしたこともありました。(なんで私がガキ大将??って思いましたが)それこそ,黒板消しをドアに仕込むとか,他の教師の車のボンネットの上に雪だるまのお供え物をして,どんな反応をするか楽しみにする,そんな程度ですが。学校という職場にもまだ余裕があり,そんなことを楽しめる気持ちのゆとりがあった頃です。

どんどん職場が多忙化し,そんなことを楽しむ気持ちのゆとりもなくなって,それも子どもを追いつめているのかもしれません。

卒業式からなんだかとりとめのない話しを思い出してしまいました。

今年はどんな卒業式になるのでしょう。

考え過ぎかもしれないけれど

ブログの記事を書くのも,なかなか時間がかかるし,勤務時間中は書けないし,アクセスもできないし

夜の間に書いて,せっかくだから時間をずらして書き込みに回るようにしてあるのだけれど

昼間に更新されているブログをみて,予約投稿とは思わず,「またダメ教師が,勤務時間中にブログを更新している」なんて言う人もいるのかな。

いたら,面白いような,そうじゃないような。

そこまで揚げ足とるようなヒマな人いないか。

絶対評価といえど,絶対なんてあり得ない

そろそろ成績の〆切がきているので,今の土日は成績をつけていました。
今年度の後期の成績と,指導要録に付ける,年間の成績です。

10年ほど前から観点別の絶対評価が入り始め,昔の相対評価による正規分布というのはなくなってきました。
テストの点を並べただけでは成績にならないので,教師はそれぞれの教科に定められた観点にそって,どんな評価をするのか頭を悩ませているわけです。

それにしても,絶対評価って,
求められる水準までできるようになればAがつき,Aが4つ(国語は5つ)たまれば自動的に10(5段階なら5)がつくというわけで,極端な話,全員に10をつけてもいい。

って,そんなことは現実問題あり得ないのだけれど,どうしても相対評価より甘くなるのです。規準が。
しかも,どこでAとBとCを区切るかは,教師の主観に頼る部分も多く,そうかってあまりに極端な評価では,信頼性が亡くなってしまうばかりか,Aばっかり付ける教師は「あいつ,ただつけとるやろ」と言われますし,Cばっかりでは今度は授業が成立していないのではないかと疑われることになります。

結局それらしい人数にAをつけ,Cをつけ,残りの人間にBをつけるという,安易なところに行き着いてしまうことになります。

きめ細かくと文科省はいいますが,教科によっては800人の生徒を評価します。しかも週1回しか授業がないなかで。
それがプロやろう。と宣う方もいらっしゃいますが,人間の能力なんて限界があります。800人の生徒をどこまできめ細かく評価できるか。ご自分で一度,どんなものかなと考えてご覧になれば,わかると思います。

最近はパソコンも利用して,だいぶ素早く,間違いもなく,評価を出せるようになってきました。
今はエクセルを使って計算しますが,ちょっと前はロータスで,その前はマルチプランというソフトがありました。
あの頃は計算もよく止まりましたよ。PCが無限ループに落ちて,立ち直れなくなったり,作業領域が0になって止まってしまったり。

なんてちょっと懐かしいことを思い出してしまいました。

この話がわかる人は,けっこう年配の方なんでしょうね。

こんな嫌がらせがまかり通っちゃダメだって

ポルノ小説サイトに中3実名−名誉棄損で捜査・秋田

ってこの前出た「教室の悪魔」そのものじゃないですか。
調べてもわからないって,そんなん,わかりますよ。その気になって探せば。
もう削除されてしまったということで,闇に葬られたようですが,きちんと処理しないと,また同じ事が起こります。
その子をターゲットとした確信犯ならまた同じ被害者に。
誰でもよしの愉快犯なら別のターゲットに。

こんな時こそ,涙ちょちょぎれるほど絞り上げてやらなきゃダメですって。
こってり説教して,きっちり謝らせて,親の一人も呼び出して,自分が何をしたのかわからせてやらないと,どこまでも世の中なめた人間になるじゃないですか。

先生,がんばれ!
ここでいい加減に済ませちゃダメだって。

アンケートなんてとっても,絶対,誰も知らないってしらを切るから,あきらめずに人間関係とアリバイで攻めていけば,どこかで誰かに当たるから。
もし当たらないまでも,教師が本気だってことが生徒に伝われば,何かが変わるから。

でもって,教師はもっと生徒に人生を語らなきゃ。。。。

卒業式が近づくと

公立高校の入試が終わると,3年生たちは卒業式の練習に入ります。
卒業式といえば,また日の丸だ君が代だとうるさいのですが,個人的にはそんな些末なことで紛糾してほしくありません。
卒業生が10年経って,君が代を歌ったかどうかなんて,多分覚えていないし,君が代で生徒が感動するとも思えないからです。
(これで感動して涙を流すように指導しろといわれたら,私でも教師を辞めるかもしれません)

生徒はやはり15歳の段階として,自分の節目に何かを感じ,その場の雰囲気に飲まれ,全員の合唱に自分で酔って泣いていきます。
それでいいと思うし,その場を仕掛けるのが教師の最後の仕事じゃないかと思っています。
(基本的に私はイベント屋で,生徒を舞台の上で泣かすのが好きです)
卒業生退場の時に,生徒がベショベショに泣いてる顔を見て,よっしゃ!と小さくガッツポーズをする瞬間がたまらないのです。

一度だけ生徒に完全にやられた卒業式がありました。
なぜ一度だけかといいますと,2回目からは,やはりこちらにも免疫ができて,そこまでの感動がなくなったせいだと思います。
なんでも1回目はやはり,やられます(笑)

それは,けっこうやんちゃな学年でもありました。
いろんな事件がありましたし,やんちゃな生徒もいました。
何度も夜中に学校に集まって対策を考えたり,
警察にお迎えに行ったりもしました。

卒業式の当日,卒業の歌の途中で,ん?ピアノの伴奏がちょっと長い,と思ったその瞬間,「先生!」と声が上がりました。

私は誰かが気分を悪くして倒れたのだと思って,走り出そうとしました。教師全員がそれっ!っと動き出そうとしたその時
予定にはまったく入っていなかった生徒の呼びかけが始まったのです。
次々とせりふを言う生徒たちは,言ってみれば教室で手のかかったやんちゃな子たち。しかも,教師の手など入っていない生の言葉ですから,おいおい,そんなことまでいうの?という言葉ばかりです。
教師はみなあっけにとられて聞くしかありませんでした。

最後の一人が言い終わって,全員の「ありがとうございました」の呼びかけのあと,何事もなかったように歌は続きます。
後で聞けば,卒業式前日に連絡電話が回って,歌の間奏部分で決行が決まったとのこと。
伴奏の女の子は,アドリブでその場を繋いでピアノを弾いたのでした。

そういえば,公立の入試の前後,やたら3年生の朝の時間がうるさかったのです。誰かが教室から顔を出しては,うろうろしたり,ざわざわしたり。
教師は何も知らないものですから,「落ち着かないね」といい,
教室では「もうちょっとなんだから落ち着きなさい」などどトンチンカンな注意をしていました。
何のことはない。見張りを立てて,教師が職員朝礼で教室を空けたスキを狙って,せりふを言う生徒を決め,練習していたのです。

式が終わって教室に帰ってきたとき,にた〜っと笑う生徒たちに,もう言葉がありませんでした。
教師に最後のパンチを喰らわせて,全員泣かせた生徒たちは,涙の中にも満足の笑みを浮かべて校門を出て行きました。
恥ずかしながら,取り残された私は,余韻に浸ってしばらく声も出ませんでした。

当然,次の年からは,私が仕掛ける番ですから,生徒にこっそり種まきをして,卒業式の仕掛けを仕込んでおきます。
初めての教師は,間違いなく号泣します。
そして,生徒は,担任を泣かせた満足感を感動にプラスして卒業していくのです。
10年経っても忘れない卒業式。感動がたくさんある程,人の気持ちは豊かに育つ。
目指すところはそこだと私は思っています。

PTAとの関係は

今日はPTAとの飲み会でした。1年間の締めの会で,会長さんの引き継ぎの時でもあります。
学級担任の身としては,これは出なくてはいけないものであり,出たからには保護者のみなさんとたくさんおしゃべりをしてくればいいと思っていますが,どっこい,学年によっては,PTAと職員は別,のように思っている人たちも多く,教師が誰〜もいないときもあります。

前校長は大変厳しく,PTAの役員さんたちが学校にいらしてる時には教師の方からにっこり笑って大きな声であいさつすること(案外できてない人が多い)と,PTAとの飲み会にはよほどの事がない限り出ることにはうるさい人でした。ましてや学級担任は必ず出ろと,欠席の返事をした人は一人ずつ呼ばれて,理由を聞かれたものです。

私も,昔はちょっと引いていた部分もあり,おっかなくもあったので,PTAは苦手でした。
前任校では,年が近くなってきたこともあって,だんだん身近に感じられるようになり,PTA活動室へ遊びに行ったりするようになって,仲良くなることができました。

その時のPTA会長さんはとても気さくな方で,学校の外でも時々お話をさせていただきましたし,役員だったお母さんたちとは飲み友だちになって今も続いています。

学校によっては敵対関係のように溝がある学校もありますが,同じ子どもを挟んで,あっちとこっちに別れるのはできれば避けたいものだし,せっかく学校まで来られていろいろ活動してくださってるわけですから,できる限りの協力はするのが当たり前だと思います。

今日の収穫は,卒業される会長さんに,授業のお手伝いをしていただけるようお願いできたことと,次の会長さんともたくさんお話ができたことです。授業で何を手伝って頂くかって?
それは,じゃあ次の機会にお話ししましょう。

テスト終了

期末テストが終わって,教師はこれから一気に忙しくなります。後期の成績と指導要録,年間指導計画に来年度の校務分掌への申し送りなどなど,年度末のごちゃごちゃが押し寄せてくるからです。今年は校長も替わらないから,少し遅れても大丈夫だろうって,自分が異動していたりして・・・・。シャレにならない。

生徒の方はのんきなもので,テストが終わると,もう気持ちは春休みモード。
部活三昧,家庭学習0,教師が少々怒ってみても,どこ吹く風と知らん顔です。まあ,仕方ないけど。

3年生も今日で受験が終わり,あとは卒業式を残すのみとなりました。
明日からは卒業式の練習に入ります。
今年は珍しく,風邪も流行せず,みんな元気に3月,と思ったら,1年生で出ました。インフルエンザB型。
これから3年生にうつって,卒業式に発熱ってならないでほしいと願います。

怒りのペンか。赤川次郎あなたもか

最近,日本の現状に怒りを向けている人が多いように思うのですが,これも,そんな本の1冊だと思います。


偶然見つけた1冊ですが,先日の「悪魔」と違う恐ろしさがありました。
赤川次郎といえば,人気作家で,イメージとしてはもっと軽いものを想像していたのですが,今回のこの本の持つエネルギーは,
時代への戦慄というか,どこかで腹をくくらねばならない危機感を感じました。

赤川次郎らしく,文のテンポはよく,短編ゆえに話しの展開は退屈どころでなく,しがみついていないと振り落とされそうで,もうちょっと落ち着いて話そうよって感じでしたが,乱暴とも言える語り口がまたさらに,怒りをたぎらせているようにも感じました。

で,思い出したのがこの映画

関係ないけど最近の報道にはでっち上げも多いよなあ。。。。

委員会の調査,多すぎるって

さっきは話しが蛍の光にずれてしまったので,もう一度。

言いたかったのは,卒業式に何を歌うかまで報告を求める必要があるのか?ってことで,勝手に考えるには,あんまり細かいことまで縛りをかけると,結局それを全部管理しなきゃいけなくなるわけだから,委員会だって大変だろうに,どうでもよさそうなことで,お互いの事務を繁雑にして,首を絞めるのはやめたらどう?ってことなんです。

そうでなくても3月は,教育課程の実施状況報告だの,来年度のなんたら要請だの,なんたら計画だの,出さなきゃいけないものがドサドサあって,しかもひとつがエクセルのシートで15枚たら25枚たらって,最後に教科書が替わった年だから,来年度の教育課程年間計画(シラバスって形でだしてるところもある)ってのも提出しなきゃいけないんですよ。

で,また,後でいろいろ注文付けてくるところを見ると,出したものをかなり細かくちゃんと見てる。
ひとつ作るのも大変ですけど,20校以上もある学校の分を全部見て,直しを入れる委員会の手間だって,想像するにあまりあるじゃないですか。なんでそこまで事務量を増やす?

なんか,とっても無駄なことをしているような気がするのです。

卒業式に何を歌うかまで報告するの?

教育委員会からの調査が回ってきた。卒業式に何を歌うかだと。
これって暗に君が代を歌うかどうかの調査なわけ??
選択肢にはおなじみの歌に混ざって,新しげな歌も入っていたけれど,どんな回答が多いのかな。
大地讃頌も入ってたってことは,この歌も定番?
巣立ちの歌はなかったなあ。
そういえば,今年の1年生は蛍の光を聞いたことがないって事をこの前発見したっけ。
時代も変わったもんだ・・・。

英国出身のALTがお国紹介をしていたときに,スコットランドのAuld Lang Syneといって紹介してくれたので,私はボケのつもりで,「これって日本の歌だよね」

ところが生徒は無反応。あれ?おかしい。

あわてて追い打ちで蛍の光を歌ってみたけど,やっぱり無反応。
(・_・)......ン?

いつも表情豊かに反応してくれる賢太朗をみても,無反応。
歌が下手だった?

「みんな知らないの?」とおそるおそる聞くと,うんうんと頷いている。

「え?パチンコ屋で閉店の時に鳴るやん」というと,

「パチンコ屋なんか行かんし」

そりゃそうや。

「100均でも閉店に鳴るやん」といえば,

「そんな時間までおらんやろ」

はい,おっしゃるとおり。

と,接点はまったく見いだせずに終わってしまったのでした。

職員室で,「子どもらが,蛍の光を知らない」と大騒ぎしてしまいました。

時代は変わる・・・・・。ちょっとさみしいのは私だけ?

座席替え

というと,みなさんはどうやって座席を決めていたでしょうか。
クジが多いですか?
私も,自信を持ってクジができる状況ならそうします。

でも,実際今の子どもたちは,クジで座席を決めてもなかなかうまくは収まりません。

まず,声の大きい子が「おい,○○,クジかえてくれや」と弱い子を脅して座席を替わる。いますよね。その次に,その場では言い出せなかった子どもが,学校を休むようになるのです。よくよく話しを聞くと,「○○君がいじめてくる」(多くの場合,事実はなく,その子が単にキライということが多い)とどうもうまくいきません。

仕方がないので,最近は専制君主攻撃です。
「私が決める」
中学生は3年にもならないと,異性同士が仲良く協力なんてなかなか難しいので,基本的には同性同士,所々異性とのペアも混ぜるのだけれども,また,座席が嫌という理由で学校来なくなるのも困るので,なかなか気を遣うのです。

こんなことで頭使うなんて,多分保護者の人たちもわかんないだろうなあ。

初任校が教員の一生を左右する

今でこそ,初任研,10年研,経年研・・・といろいろな研修を聞くけれど,私は実はこの手の研修をするするとくぐり抜け,ほとんど何も受けないまま,ここまできてしまいました。

それでも,私が初任だった頃は,周りじゅうの先輩教師がありとあらゆる事を教えてくれました。学級掲示物の作り方。生徒の動かし方。毎日の学級指導・・・・。けっこう厳しく,生徒を叱るのと同じように説教をくらったこともあります。

思えば,20数年前の初任の年,私の所属した学年の教師たちは,後の組合(日教組の県支部,市支部。普通は県教組とか市教組とかいういい方をする)執行部になる人がゴロゴロいたのです。権利だけ振りかざす人たちではなく,まあ,夢をもってよく仕事をする人たちでした。

加えて,私の配置された学校は,その辺では一番荒くれの中学校で,授業が始まっても,教室内にいるのは半分だけ。隣のトイレや階段の踊り場から生徒を呼び集めて,ようやく授業が開始になるというとんでもない学校でした。もちろん,気を抜いたり,下手に怒ったりしたら,生徒はどこかに行ってしまうし,下手なことを言ったりしたら,2度と授業が成立しなくなったりする危険もいっぱい。まあ,刺激的な所だったのです。

そんな学校ですから,教師も必死。委員会も,それなりの人材を投入して学校の立て直しを図っていました。授業をサボる人?いません。途中で消えたりする人,もちろんいません。昼間からお酒飲む人。とんでもありません。そんな中に右も左もわからない新採が入るわけです。1年経ったときには,教員って言うのは,朝から晩まで,子ども子どもで働いて,子どものために一喜一憂し,何度だまされてもあきらめずにその子の味方になって,まただまされる。なんてエライ人たちなんだろう。という教師像ができあがってしまうわけです。

2校目,3校目と異動すると,あれ?こんなのってありなん?というヘンな事もたくさん出てきて,なるほどちょっと困った人もいるのね,ということに思い至ったわけですが,すでに固まってしまっていた観念というのは変わりようがなく,手抜きの下手くそな教員になってしまっていました。

そこで思ったわけです。初任校の雰囲気で,ある程度その人の働き方が決まってしまうと。崩れた教員たちに囲まれて過ごせば,それが当たり前と手抜きを覚え,がむしゃら人間たちに育てられれば,やっぱりがむしゃらになるのです。単発的な研修よりも,教員の生き方を左右するんじゃないかって。

今,自分が年を重ね,若い人たち(少ないのですけど)を指導しなければいけない立場になり,自分の学校が,初任の人たち(滅多にいないのですけど)に何を示せるのか,少し不安を覚える毎日です。

塾に通う子どもたち

学校の先生は,敵対意識でもあるのか,塾を勧めたりはしませんよね。
私だって,無理に行かせようなんてこれっぽっちも思ってはいませんでした。
状況がちょっと変わってきたのは,ここ2〜3年です。

なにしろ,試験期間中でも家庭での勉強時間が30分とかいう生徒がごろごろ。それが受験生になっても,やっぱり1時間。宿題を出してもやってこない。「明日出します」と約束してもダメ。

なんで??といろいろ話しを聞いてみると,自分の家に帰ると,テレビを見て,ゲームをして,パソコンで遊んで,メールをして,全部終わってからじゃないと勉強には取りかかれない。だから,どんなに試験が近くても,宿題がたまっていても,家に帰ると,誘惑に負けてしまう。というのです。

だからといって,ゲームやパソコンがないと,死んでしまうほどの依存症ではないらしい。単に目の前にあると,自分を押さえて順番を考えることができなくなってしまうようなのです。

そんな子は,塾に行って,物理的に誘惑から切り離されてしまうと,案外素直に勉強します。宿題もちゃんとやります。
つまり,努力ができないだけなのです。

こんな子どもにとっては,塾は時間管理のためのツールともいえます。

強制的に誘惑を排除し,一定時間勉強机に向かわせる。

だからといって,これが根本的な解決法になっているのかというと,はっきりyesとはいえませんよ。だって,学校卒業してしまえば,塾なんてなくなるわけで,自分の時間を管理できないという問題は残っている訳ですから。
自分で考え,自分でコントロールして時間を活用しているわけではないですから,結局の所,自主性なんて育っていないし,自立もしていないわけなんです。

こんな子どもをそのまま卒業させていいのか?これで日本の将来大丈夫??考えると,ぞえ〜っとなるのですが,いい方法は見つかってはいません。

教員の種類と傾向

で,いろいろ言われる教員にも様々な種類があって,そりゃあいいのもいれば頭を抱えたくなるのもいるわけです。

ところが,世の中って面白いもので,子どもにももっといろいろあるらしく,教員仲間が頭を抱えたくなるような人にも,「この人じゃなきゃ」って慕う子がいるんですね。

すべての人にとっていい教師でなくても,誰か一人の恩師であればいい。って,ほんとそうなんだとつくづく思います。

当然,自分のクラスでも,私に合わない子が必ずいます。申し訳ないよなあ,と思いつつ,クラスを分けて,誰が持つかわからない状態で4月を迎える以上,ある程度の相性のズレは仕方ないだろうと思っています。

だからこそ,いろんな人がいればいい。

個人的には教員の個性ははっきりしている方がいいと思っています。濃すぎるくらいでちょうどいい。

教員にも競争原理を持ち込みたがる人がいますが,これには私は反対です。競争の道具にされる生徒こそいい迷惑で,学年の教師は完全にスタッフワークです。

経験的には,教師の色が濃く,(色黒って事じゃないからね)しかも,みんなの仲がいい時が生徒にもいいと思っています。
生徒指導をする上で,教師の間に隠し事がなく,お互いの弱点を笑ってカバーできることが,生徒の問題行動を防ぎ,安心して生活できる環境を作るからです。

生徒は見事に教師の人間関係を映します。自分の担任が不信感を持つ教師の授業を,生徒は聞かなくなりますし,お互いにバカにしあっていると,生徒は間違いなく一番弱いところを突いてきます。多くの場合,半年もしないうちに,学年中に荒れる兆しが見えてきます。

荒れてしまった集団は可哀想です。一部の生徒が授業を妨害するために,多数の生徒が落ち着いて学校生活を送れなくなりますし,一部の生徒の後始末に教師の手が取られて,一般生徒はほったらかしになるのがほとんどです。本来,一番大事にされるべき「普通の生徒たち」が一番後回しになるのです。

人事考課制度

目標管理とかいう名の下で,人事考課のための最終面接がありました。校長,教頭と3人で話しあいながら,今年の目標の達成度について評価するのですが,なんかなあ,と違和感を感じながら校長室を出てきました。

自分の立てた目標をもとに評価するのですから,目標設定した自分の責任といえば,そうなのですが,その時の校長の好みによって,やはり同じ事をしていても,評価は変わります。

私の学校の校長は,なんと言っても部活大好きな人なので,部活に熱心な教師には甘く,たとえ教科指導に長けていて,生徒が勉強を好きになる教師でも,部活指導に熱心でない人には厳しい評価を与えます。自分もまっしぐらに仕事をしてきた人ですから,マイペースな人には厳しく,夜遅くまで学校に残っている人にはいい評価を与えます。上司が替われば,評価が変わるのは当然かもしれませんが,一面的なのが,ちょっと釈然としないのです。

前にも書いたように,教師にはいろんな人がいていいと思っています。スタッフワークの良さは,いろんな人の弱点をカバーしながら,いいところを引き出していけるところです。(うまく機能しなければ,絵に描いた餅にしかなりませんが)ひとつの価値観で評価されたのでは,奥の深い教師集団にはならないのです。

しかも,そのうちこの人事考課は処遇に反映することになります。お給料が上がったり下がったりするわけで,去年4月の新聞では,自分の学校の教師にC評価を与えず,Bしか付けなかった校長は指導を受けているのです。そりゃそうです。誰かの給料を下げなければ,誰かの給料を上げられない。

でも,じゃあ,学年がすごくうまくいったとして,問題教師と呼ばれた人が,再生して生き生きと生徒を指導していたら,2−6−2と言われる,その下層の2が固定せず,全員が様々の場面で責任感を持って生徒の指導に当たっていたら?

理想に近い状態になればなるほど,評価なんてできなくなるのではないですか?

それでも,A〜Cを付けなくてはならないのなら,どこで,何を基準にそれを決めるのでしょう。

それを考えたとき,自分が理想と思って一生懸命やってきたことが,なんだか空しくなってしまうのです。

中央動員の帰りは謎の寝台特急

中央動員の帰りは寝台特急。

初めて乗る寝台車だったので,興味半分,不安半分。

上野の駅にルンルンで集合し,その時はチケットを見せて入場したハズ。

なのに,なのに,いざ列車に乗ろうとしたときに,チケットがない!

カバンをひっくり返し,ありとあらゆるポケットを探し,ありそうにないところまで全部探したが,


ない・・・・・



みんな一緒の団体なのだから,なんとかなるかな,と思う反面

何とかなるはずがないとも思い,でも,乗らないわけにもいかなくて,乗車

乗り切るポイントは2つ。途中の検札と最後の改札


その時は焦っていたので,そのまま過ぎてしまったのだが,

私が記憶していた寝台番号には誰かがすでに入っており,

私は空いていた隣の寝台に荷物を置きました。

最近,自分の記憶力に自信がないので,どうせ自分が違っていたのだろうと確かめもせず。

チケットをなくしたという動揺で,疑ったり,確かめたりする元気などなかったといった方が正しいかもしれません。



検札は。。。。



同僚たちが集まってきて,ワイワイ酒盛りをしていたら,

なんと,車掌さんはよっこらしょとその辺の荷物を避けながら,失礼しますと通り過ぎていったきりで

二度と回ってくることはなかった・・・・

ラッキー


まずは第1関門クリア



最後の改札は・・・

実はどさくさに紛れて,二人一緒に出るという荒技で(集団ならでは)突破してしまった。

(JRさん,ごめんなさい)



解散した後になって,もう一人頭を抱えていた人がいて

新しい局面が・・・

体の調子を崩して,先に帰った人が一人いて

その人の寝台が空いていたハズだが,スペースはなかったと。



(・_・)......ン?



ってことは,もしかして,私がいたのは,その帰ってしまった人の寝台で

実は私の寝台だったはずのスペースに誰かが入っていたのでは?

じゃあ,私のチケットは?



まさか,

もしかして,

無防備にその辺にほったらかしてあった私のカバンから,

チケット抜いて,私の寝台に寝た人がいた??

今となっては確かめようもないし

無事帰ってきたのだから,それでいいと言えばいいのだけれど,

あの時どうして,もうちょっと図々しく「あれ?私ここだと思っていたのですけど,あなたどなた?」

ぐらいに問いかけてみれば,よかったのじゃないかと,後悔しています。



う〜ん,時間が経つほどに疑問と後悔が渦巻く。。。。

中央動員というもの

日教組というと,教育を荒廃させた悪の権化のようにマスコミにたたかれ,そこに入っているだけで腐った教師のように言われるのですけど,その活動の中でも,周りじゅうからたたかれそうな中央動員というものに,先日初めて参加しました。

そうです。教基法改正に反対する集会です。

教育基本法がらみの国会情勢が大詰めなので,日教組が1万人集会を開いて,改正反対の声を上げることになった,あれです。

どういうわけか,その動員にあたってしまい,初めて東京まで行動に行くことになってしまったのです。

デモや集会といったって,決して血気盛んな人ばかりが集まっているわけではありません。

90%以上は動員で順番やクジで充てられた人で,

今回も,北海道教組からは350人規模で人が来ていたらしく,

日本全国から6000人あまりが集まることとなりました。

日比谷野外音楽堂なんて,そう滅多に行けるものではないので

お上りさんはけっこう楽しみに行ってきたわけですが,

できれば見るのはむさ苦しい教員ばかりではなく,可愛いアイドルかかっこいいタレントがいいし,

「教基法(業界では教育基本法をこう呼ぶ)改悪反対!」と叫ぶのではなく,「キャ〜〜〜〜」と黄色い歓声を上げて総立ちになる方がいいに決まっています。

しかも,行くのは飛行機ではなく,朝,電車で行って,帰りは寝台特急で,次の朝7時に駅に帰ってくるのです。

巷では,授業をほったらかして,よくも教員がそんなところで職務もまっとうせずに・・・・なんて言われていますが,

1週間も前から,他の同僚と授業を入れ替えたり,もらってもらったりして,穴を開けないようにいろいろ工夫して出てくるのです。そんな簡単なものじゃありません。

周りからは「気を付けてね〜〜」なんて言われて,

自由時間はほとんどなく,観光もできず,しかも自腹でおみやげのひとつも買わなければならないという

出張レベル(出張にはなるわけないので,自分で休みを取って,勝手に参加している形になる)では最低の旅行に行くことになりました。

どうせ行くなら,初めての経験を楽しもうと,前向きな気持ちで(こういうの,前向きって言うのかなあ)参加したわけです。

小学校からの英語教育は意義があるのか

前に,90%以上の小学校ではすでに英語を何らかの形で導入していると書きましたが,私の住む自治体でも,小学校からの英語をやっています。

6年にもなると,週1時間+朝のショートタイムで,しゃべったり聞いたりすることを中心に活動しています。
中学校に上がってきたときには,できる子は自己紹介ぐらいベラベラ喋りますし,できない子はあいさつもろくにできないという状態になっています。二極化が固定しているわけです。

アンケートを取ると,小学校教師の半分強,中学校教師では7割が小学校からの英語に意義を認めています。ところが,中学校1年で,せっかく英語好きで上がってきた子どもたちも,興味関心を失っていくのです。そんなに中学校の教師はひどいのか,って,確かにひどい人もいますけど,そればかりじゃないと私は思っています。

理由と思われることは2点あります。
ひとつは,小学校からすでに学力差が取り戻しの付かないレベルまで広がっており,さらに難しくなる中学校の英語では,興味関心の持続なんてあり得なくなっている事です。

自己紹介までは,つまりIで始まる文までは,ある程度,誰でも行けます。しかも,何が好きとか,何が得意とか,そういうレベルですから,1文がせいぜい単語5つです。ここまでは何とかなります。

問題は次に,heだのsheだのという3人称が出てきて,話しが抽象的になると,一気にわからなくなるのです。さらに,追い打ちをかけるように,時や場所を表す副詞句や,前置詞がついてくると,もうお手上げです。日本語と語順が逆なんですから,無理もありません。team of dogsが「犬のチーム」じゃなくて「チームの犬」にしか理解できないのです。これでは英文は理解できません。いままで自己紹介も中学校でたどり着くレベルでした。それが小学校でやっちゃうわけです。中学校ではもう,はぁ〜〜?の世界になってしまい,授業をきいても,発話ができないようになってくるのです。

もう一つは,小学校との目標のちがいです。
小学校では「楽しく」やりましょということで,多少の間違いも,あやふやも,不正確も,全部気にしない!のスタンスで活動してきます。だから,中学校に入って,1回目のテストを受けると,「こんなハズじゃなかった。。。。」と落ち込むことになります。ベラベラしゃべっても,アルファベット書けていないし,be動詞なんて全部抜けてるし,aも複数のsも,なにもわかっていないのですから,無理ないわけです。
間違いを極度に恐れる彼らは,中間テストを境に,何も言わなくなるし,やらなくなるし,聞いても反応しなくなります。

こうして,小学校から習ってきた英語は死んでいくわけです。
もっとも,春休みを過ぎた時点で,日付も曜日も,天気も,時間も,あんなに練習してきたはずなのに,3分の1は「そんなもん,ならったっけ?」というレベルまで忘れていますけど。

ここ2〜3年の子どもたちの「不正確さ」には目の覚める(この場合,目を覆いたくなると同義)ものがあります。
漢字が書けない,計算ができない,英単語なんてもってのほか,と,この問題は,英語の問題じゃないんですよね。

で,また家庭学習という話しが出てくるのですが,やって欲しい人ほど,やらない。
なにをしても,やらない。自主学習ノートをつくっても,やったふりだけ。で,保護者懇談で「毎日頑張ってますね」と母にいうと,「あ,アレ実は・・・。」とウソが露見することになるのです。まったくモグラ叩き,糠に釘,何と表現すればいいのか,言葉がありません。

全国一斉学力調査なるもの

4月に3年生対象で全国一斉学力テストがあるということは,もうどうしようもないことだけれど,次から次に,やれ,そのための練習だの,プリントだの,なんだか訳のわからないものが次々と学校に送られてきている。そんなものに税金使うくらいなら,地デジ対応のテレビ更新してくれ〜〜って言いたい気持ちもなきにしもあらずだけれど,そこはぐっとこらえて。

あの学力テストは,まあ,学校現場できちんと教えているかどうかを確かめたいのか,全国の学校を序列化したいのか,その辺はわからないけれど,45年前の(もう50年か??)学力テストの再来にならなければいいと願うばかりです。(これについては前にも書いた

でも,その予兆として,市の学力調査における各校の問題点を洗い出し,学力向上のための手だてを書いて出せと,委員会がいってきていますし,来年までには国の指導要領に加筆強化した,各校の指導要領を作れと宣っておりますから,締め付けはキツくなるばかりです。今年は,さらに,すべてのクラス,すべての教科の実施時数を数えよ。と気の遠くなるような要求をしてきています。(従来,年間の授業総時数と,抽出サンプルとして各学年1組の教科毎実施時数を報告していた)10クラスもある学校でどうやって今から数えろっていうのでしょう?総時数1000時間にも上る授業時数,途中で教師が休んだりしたら,入れ替えて,カバーしたり,試験前で授業のやりとりして進度合わせたり,いろんな細かな事が起きているというのに。

今まででも,私の住む自治体にも,中学3年生対象に「一斉テスト」があって,高校進学の際の目安にしているものがあります。市内一斉に同じ問題を同じ時間割で取り組むもので,各校から教員が当番制で委員会を作り,問題作成にあたっています。
この時,中学校によって,何故か,やはり学力差が出るのです。
しかも,それは,地域によってもう20年以上も固定化しているのです。
教員は異動しますから,教員の差ではない,何か。
一部の教員にしか,はっきりした数値はつかめていませんから,順位までは一般教員にはわかりませんが,市の平均よりどれくらい上だったか,下だったかは,職員会で知らされます。
その年,その年で小さな変動はありますし,職員は一喜一憂するわけですが,それでお給料が変わったりはしませんし,だいたい,例年の順位に大差はありませんので,ま,結局誰が教えても大差はないということになります。

今は,これが外部に出ていないため,学校選択の要素として確定はしておらず,単なる風評の域をでませんから,親たちもそこまでは意識せず,校舎や雰囲気,部活を見て選んでいるようですが,順位がもし,ベネッセから塾に出回ったら・・・・そんな恐ろしいこと,想像もしたくありませんよね。
(私の学校は古いので,トイレがボロいといわれました。そんなこと言われても・・・・雨漏りや校舎の傷みは仕方ないですよ。耐震工事に予算取られて,改修が入らないんだから)

やると決まったものに文句は言えないのですが,安倍さんのもとで,これが第二の英国にならないことを願うばかりです。
タグ:学力調査

小学校からの英語教育

実に小学校の9割以上が総合の時間に英語をするようになっているそうな。

2002年に出された『英語が使える日本人』の育成のための戦略構想とかいう文部科学省の方針で,いろんな取り組みがなされましたが,その中のひとつなんですね。

これって,でも,う〜ん。なんと言いますか,びみょ〜。

いろんな要素が絡み合っているので,誰かが必ず反発するわけなんですけれども,

一般的に言語習得年齢というのが,13歳までと言われていて,中学校に入ってからでは,遅すぎるのではないかという人と,
13歳までは,きちんと国語である日本語を学ばせなければならないという人と,

総合の時間をきちんと使いこなせていない人たちには,渡りに舟と「国際理解」と称して英語活動を取り入れたりするところもあり。

特区の制度を利用して,医学書ほどもするような高額な教科書を揃えて,英語をやり始めるところあり,小学校に中学校の教科書を前倒しして教えるところあり。

隣の自治体が何かやり始めたら,保護者たちの要求に押されて,結局英語を導入していった自治体もあり。

まあ,それぞれの自治体がいろいろ工夫というより,苦労しながら英語が使える日本人を育てようとしたわけです。

文科省も躍起になって,中学卒業時に英検3級を取得している中学生の数と,高校卒業時に準2級を取得している高校生の数を調べさせたらしいんですわね。

ところが,どうも目標値に届いていないらしい。
4〜6割を目標値に設定していたらしいのですが,準2級程度を身につけた高校3年生が27.8%,英検3級程度の中学3年生が33.7%しかいなかったわけです。教員に対しても,英検準1級かTOEFL550以上の教員は中学で24.8%,高校で48.4%と,目標値の100%には遠く及ばなかったという話しなんです。

どこかの国の全国一斉学力テストで,2002年の目標を下方修正したという話がありましたが,よく似たものよのう,と思いながら読んでいました。

これは,しかし,数字のマジックもあると思うのです。
平均値というのは,すべての個をならしてしまうわけで,均質のものを比べるときの平均値には意味がありますが,昨今の学力の二極化を考えるに,個体の数値に開きが大きくなれば,平均値の意味はなくなってきます。

この英語の能力も,高い人はより高く,そうでない人は限りなく低くなってきた結果じゃないかなって。
今日日の中高生,勉強しない人たちって,ほんとに,あの手でもこの手でも,褒めても,叱っても,おだてても,脅しても,何をしても勉強しない。試験の前でも勉強時間0ですよ。0

このあたりをなんとかしないと,どこまでいっても,数値目標なんか,天上の値のままだと思うのですけど,どうなんでしょう。

拝啓,コメント主様,何故名前を書いてくれないのですか

あなたは教師を辞めたほうがいいかもしれません。 厭味ではなく、その方があなたのためでもあるし、何より、子供達のためでもあると思います。 どんな仕事でも、どんな職場でも、辛いこと、思い通りにならないこと、理解してもらえないこと、嫌な上司、嫌な客(学校ならば子供・親)は存在します。 あなたは、既に自分の仕事の辛さ、思い通りにならないことの理由を、自分以外の他人に求めています。世の中のほとんどがそうですから、それも無理もありませんが、教師がそれでいいのでしょうか? 教師なら思い通りにならない境遇を変えてゆく気概と努力を生徒に見せるべきではないでしょうか? あなたがそのような姿を毎年30人の生徒に見せていけば、もしかしたら、その内の何人かは、あなたの生き方や志を継いでくれるかもしれません。 私の尊敬する先生は1人しかおりません。連絡をとっているわけでもありません。でも、私は今でもその先生を尊敬し、感謝しています。 繰り返しますが、あなたが思い通りにならない理由を他人に求めるのであれば、あなたは教師を辞めるべきだと、私は思います。それがあなたのため、子供たちのためです。

コメントの全文です。この人がどんな人で,どんな考えを持って,何を言わんとして,(イヤミじゃなければ,脅し?忠告?善意をもってのことではないと思いますが)書いたものなのか。真面目なのか冷やかしなのか,真剣なのか,おちゃらけなのか,彼?彼女?のサイトを訪れようにも,行くこともできません。
ブログやHPの持ち主で,それを読むことができれば,まだこの人の考えも読めるかもしれませんが,それもできません。

なぜ,見えないところから,石だけ投げて,逃げるようなことをするのですか?
意見は交わして初めて理解が得られるもの。批判は出所を表明して初めて説得力があるものでしょう。

名乗り出てくれることを希望します。

ついでに,私のどこが,「思い通りにならないことを人のせいにしている」のか教えてください。

教室の悪魔 2

昨日は睡魔に負けてしまいました。

教室の悪魔というタイトルを見たときには,「悪魔」は教師か,生徒か外因か??と疑問を抱きながら本を手に取ったすずめでした。

最初の章を読みながら,あまりに頷けることばかりで,怖気がふるったわけです。
そこには,私たちが日常,生徒をそこに座らせて,話しを聞く光景そのものがありました。
なかなか口を割らない生徒。否定する生徒。結局あきらめてしまう教師。今までの何年かは,それでも,教師の方から見つければ,いじめは止まったのです。最近,アンケートをとっても,何も出てこなくなったのは,いじめや嫌がらせがなくなったのではなくて,アングラに潜んだだけなんだということを,突きつけられた気がします。

 授業中に観察する限り,教科書の悪戯書きや,文房具の破損は見つけられません。でも,もし,巧妙な悪魔たちが,今学習しているページはきれいなままで,1ヶ月程前のところに「死ね」と書いてあったら,表紙はきれいなままで,決して見えないような所に落書きをしていたら,授業中ごときでは,40人を見ている教師に見つけられるハズがありません。しかも,教科書など滅多に開かなかったり,机間巡視をしない教師の教科書にのみ落書きがあったら,1年間見つからないことだって不思議じゃないでしょう。そうじゃなくても,最近の生徒たちは,こと「評価」をされる場において,本当の顔を見せることなどありません。

 給食はどうでしょう。食べているときは教師がついていますし,片付けるときは,親に見せたい,と思うぐらい,生徒たちは好き嫌いをして給食を残しますし,健康観察の意味もあって,教師は食管と残菜バケツと生徒の食器をみています。その日残したもの,残し方,食べた量をチェックするためです。今まで,生徒はウンチやゴキブリの入ったものも,教師のチェックをすり抜けるために食べていたのでしょうか。とすれば,地獄以外の何者でもありませんし,その時点で,教師は権威をもっていじめに加担していたことになります。生徒の健康観察という大義名分をかかげて。

 現実に私の勤める学校でも,インターネットの掲示板にあることないこと書き込まれて誹謗中傷されるということがありました。たまたま検索をかけたときにひっかかってきたのですが,学校では規制がかかっているので,掲示板もブログも見ることはできません。ですから,学校で,職員会に実物を提示しようにも,家から持ってこない限りできないのです。そして,書き込みをした生徒は,家で,親の見ている前で,やっていました・・・・。もちろん,親は,我が子が何をしているのか気づきはしなかったのでしょうけれど。

 今の学校現場には,課題が肥大化しすぎていて,対処しきれない部分があります。悪魔たちに立ち向かうには,保護者の危機感も必要ですし,関係機関との連携も不可欠です。削られる一方の教育予算のなかで,やらなければいけないことがどんどん複雑になり,増えていく。

真面目な教師ほど,病気に倒れていくのがよくわかります。
そして,ますます子どもたちも病んでいくのです。 


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同感,でも震撼 「教室の悪魔」

そろそろクラス分けが気になるすずめです。
今日はちょっとだけ時間ができたので,久々に読書。



ぞぞ〜〜
あまりにも当てはまる。

そのとお〜〜り!!

って感心していてはダメなのです。

読んでみれば私の恐怖感がわかると思います。

あ,いえ,学校関係者なら,きっと鳥肌が立つ思いがするでしょうし

保護者なら,思わず我が子の持ち物や制服のすべてをチェックするでしょうし

日教組をつぶせ!!と叫んでいるみなさんは

これも日教組の責任だ!!と叫ぶのは簡単ですが

大人の世を映す鏡である子どもの世界がここまで病んでいるときに
責任追求をするしか行動のない,そこが病巣のひとつであることに気付いていただきたい。

なかなか人間の至らない私ごときには,こんな短時間で,ここまできれいに聞き出せる自信がないが

これと同じ事がそこここでおこなわれているということが事実としてあり

もしかしたら自分のクラスも例外ではないという危機感に心穏やかではいられない。
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